モスクワ国際児童青少年映画祭
МОСКОВСКИЙ МЕЖДУНАРОДНЫЙ ФЕСТИВАЛЬ
ФИЛЬМОВ ДЛЯ ДЕТЕЙ И ЮНОШЕСТВА
The Moscow International Film Festival
for Children and Young People |
モスクワ国際児童青少年映画祭は、モスクワ国際映画祭の一つの部門として出発しました。モスクワ国際映画祭は1959年(*)から開催されていますが、初期の映画祭では、児童映画と他の映画の区別はなく、すべてコンペティションとして参加していました。この時期には、例えば、羽仁進監督作品「手をつなぐ子ら」(1964)などが、一般作品に混じって受賞していました。コンペティションへは各国別に参加本数を制限されていましたので、児童映画が参加できる機会は非常に少なかったと言えます。
その後、1967年の第5回モスクワ国際映画祭からは、「児童・青少年映画」が独立したプログラムとなって、上映会場はもちろんのこと審査も別に行われるようになりました。この「児童・青少年映画」部門の最初の金賞は、日ソ合作映画「小さい逃亡者」(1966 衣笠貞之助/エドワルド・ボチャロフ 監督)でした。
現在では国際映画製作者連盟が認定する国際映画祭の数が増えてしまい、モスクワ国際映画祭は、「世界12大映画祭のひとつ」と呼ばれていますが、この当時は国家の威信をかけたこともあって、「カンヌ」「ベネチア」「ベルリン」の3大映画祭に並ぶものとされていました。「児童・青少年映画」部門は、その大映画祭のコンペティション部門の華やかさにかすむ形となってしまい、一時期はモスクワ市民ですらその存在をあまり知らない、というような状態もありました。
しかし、児童・青少年映画を正しく評価し、その地位を向上させることに大きな貢献を果たしました。特に、「長靴をはいた猫」(1969 矢吹公郎監督)、「龍の子太郎」(1979 浦山桐郎監督)など、日本の長編アニメーションを早くから評価してきたことは、製作者たちに勇気を与え、その後の日本のアニメーションの世界進出への足場にもなったことは見逃すことができません。
1987年、モスクワ国際映画祭は機構を一新し、「児童・青少年映画」部門は独立して、新しく「モスクワ国際児童青少年映画祭」となりました。開催日もモスクワ国際映画祭と重ならないよう配慮され、一般の人々にも親しめるよう工夫されました。「火垂るの墓」(1988
高畑勲監督)が第1回の グランプリとなりました。
1997年の第17回モスクワ国際児童青少年映画祭は、モスクワ850年祭の行事の一環として開催され、それまでで最も華やかなものとなりました。この回、扇千恵さんが審査員の一人として招かれ、卓越した映画への審美眼と、深い文化的教養が関係者を感嘆させました。
*正確には、1935年に「モスクワ国際映画祭」が一度開催されていますが、"国際映画祭"の称号を認定する国際映画製作者連盟が設立された1952年当時には定期開催されていたとはみなされないため、一般的には1959年を第一回としています。
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