第5回ウラジオストック国際映画祭(9月15日〜21日)のオープニング・フィルムはセルゲイ・ボドロフ監督の『モンゴル』だった。2年ほど前から彼が浅野忠信を主役にチンギスハンの映画を撮るという情報は伝わっていた。ロシアで演劇の仕事をしている知り合いの若い日本女性から、通訳の仕事がないか監督に打診してほしいというメールが届いた。私には直接のルートがなかったので、ロシアの映画人に頼んでみたがうまくいかなかった。
5歳のころからやがてモンゴル全体を治めるまでに成長する若いチンギスハンの生い立ちが壮大な高原を背景に描かれる。監督はあるインタビューでこれはユニークなラブストーリーだと語っている。なぜならチンギスハンにとっての最初の戦いは愛する妻を奪い返すための戦いであったからだ。5歳のときに出会い、やがてチンギスハンと結婚した最初の妻ボルテは彼と引き裂かれたのちも、チンギスハンをたびたび苦境から救い出す強い女性である。であるからこれは確かにある意味ではラブストーリーであると言えるだろう。しかし、全編をつうじて繰り広げられる戦いの場面には多少うんざりした、というのが私の偽らざる感想である。なぜ、いまボドロフ監督はこのような映画を撮ったのだろうか。
「チンギスハンはロシアやヨーロッパにとっては怪物だが、アジアにとっては英雄であり、神である。いったい彼は何者なのか?彼の実態を知るために私はこの映画を撮った」と監督はその動機を明かしている。しかし、『コーカサスの虜』を撮った監督とはどうしても私の中で結び付かない。ここには何か政治的なものがあるのではないか、と疑ってしまう。というのは、昨年のモスクワ国際映画祭でオープニング・フィルムとして上映されたのがチェン・カイコーの『プロミス』だった。このとき映画祭委員長のニキータ・ミハルコフは監督を舞台上に招き、「これまで我々はヨーロッパを向いていたが、これからはアジアを大切にしなければならない」という意味の発言をした。これは昨今のプーチンの発言と一致する。これは私の憶測にすぎないが、映画芸術に携わる能力ある人間が時の政治路線にのっとって仕事をするのはとても残念なことだし、あってはならないことだ。
この作品にはロシア、カザフスタン、ドイツ、アメリカ、日本、中国が協力していて、『マトリックス』や『ナイト・ウオッチ』のスタッフがカメラやモンタージュを担当している。C.G.をふんだんに使った戦闘場面のインパクトが底辺に流れるラブストーリーの叙情性よりも強く、まるでゲームを見せられる思いだった。浅野の起用については私が入手した限り、どのインタビューでもほとんど語られることがなかったが、彼はモンゴル語を話している。演技にも違和感がなく、監督の満足を得たのではないだろうか。ちなみに製作費は1500万ユーロだそうだ。すでに数カ国での配給が決定しているので、いずれ我が国でも上映されるだろうが、日本の観客はどのような感想を抱くだろうか。 |