ソ連にも松田優作がいた。その彼が主演した【僕の無事を祈ってくれ】は素情らしいアクション映画だ。       四方田犬彦

 ……ソ連に若い頃の松田優作そっくりのムードをもったアクション野郎がいた。ラシド・ヌグマノフ監督のフィルム【僕の無事を祈ってくれ】に主演しているヴィクトル・ツォイである。試写室で作品を見始めて10分くらいで、ぼくには直感的にわかってしまった。これはソ連の松田優作だ。身ぶりのふてぶてしさも、ふとのぞかせる悲しげな眼つきも、世界に対する反抗のポーズも、【最も危険な遊戯】や【ブラック・レイン】の優作と瓜二つではないか、と。……
 【僕の無事を祈つてくれ】だが、主人公(ツォイ)はモスクワから生まれ故郷のカザフ共和国の首都アルマアタに戻つてきた、風来坊の青年である。彼はかつての恋人で看護婦をしている女性のもとに居候を決めこみ、盛り場で地元のチンピラと喧嘩をしたり所在ない日々を送っている。しばらくして判明するのだが、元恋人は絶望的な麻薬中毒で、上司の医者に誘悪され、売人の真似事をさせられている。
 主人公は彼女を連れ出して、首都を脱出する。車をどんどん辺境へと走らせ、ついに巨大な湖が干上がって、ひび割れた岸辺に塩が自い粉を吹き上げている荒涼とした無人の地に達する。ここで2人してアダムとイヴめいた生活を開始しようと、ひとたび決意する。ヌグマノフ監督は巧みにシュールリアリスティックなメタファーを駆使して面白い効果を上げている。もはや水を失って久しい湖の痕に置き去りにされ、すっかり朽ち果ててしまった汽船とか、壜の中に開し込められて身動きのとれなくなったサソリとか。ヴィクトル・ツォイはこの後、街のチンピラに襲われ、最後には雪が降りしきる夜に麻薬患者のひとりに刺されてしまうのだが、どこまても言葉数少なく、ニヒルで、しかも狂おしいまでに孤独なのだ。……    週刊「SPA!」91年87号より転載、抜粋
カザフ映画のニューウェーヴ
ラシド・ヌグマノフ監督作品
原題:「針」
脚本:アレクサンドル・バラノフ
   バフィト・キリバエフ
撮影:ムラト・ヌグマノフ
美術:ムラト・ムシン
音楽:ヴィクトル・ツォイ
演奏:КИНО(キノ)
挿入曲:"WAR""BOSHETUNMAY""BL00D TYPE"
    アルバム(BL00DTYPE)に収録
モロ=ヴィクトル・ツォイ
ディーナ=マリーナ・スミルノーワ
アルトゥール=ビョートル・マモーノフ
スパルタク=アレクサンドル・パシロフ
カザフフィルム・スタジオ製作 1988年
カラー/スタンダード・サイズ/2218m/1時間21分
★88年オデッサ娯楽映画祭映画クラプ審査員賞
★89年<スクリーン>誌男優ベストテン(ヴィクトル・ツォイ)
提供:ソヴェクスポルト・フィルム 配給:日本海映画



ヴィクトル・ツォイとラシド・ヌグマノフ


 ツォイはレニングラードの4人組のロック・グルーフ<キノ>(КИНО=映画)のリード・ボーカリスト。1962年、レニングラード生まれ。父は朝鮮人。母はロシア人。その名字は漢字なら"崔"と書く。地元の工業学校を出て鍛治工やポイラーマンとして働くかたわら、作詩やロック活動を始め、82年、<キノ>を結成してデビュー。88年、アルバム【ブラッド・タイプ】を発表。アフガンに動員された者者たちの心を歌ったとも思われるこの作品は、一説には、月に100万本ものカセットが売れるという驚異的ヒツトとなり、翌89年には日本でもCDが発売された。俳優はプルース・リー、映画作家はプニュエルが好きで、数本の映画に出演。ヌグマノフ監督の次回作への出演や、フランスの映画会社と主演映画の話も進んていたが、90年8月15日、交通事故で死去。
 ヌグマノフ監督はカザフスタンの出身で1954年生まれ。国立映画大学在学中に撮った、ツォイなどレニングラードのロッカーたちの内面を描く短編[ヤ・ハー]でて87年モスクワ国際映画祭A・タルコフスキー記念賞他を受賞。カザフ映画のニューウェーヴとして注目を集め、卒業制作として長編劇映画を撮るという異例の特典を獲得。かねてよりの親友ツォイを主演に迎え【僕の無事を祈ってくれ】を完成、随所に窺える、それ迄のソビエト映画には見られなかった新しい感性は、ペレストロイカ後の新世代の先触れとなった。
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