ベネチア映画祭グランプリ
サンフランシスコ映画祭グランプリ
ほか、多数受賞
僕の村は戦場だった
(原題・イワンの少年時代)モスフィルム・1962年度作品

 この映画は、俊オアンドレイ・タルコフスキーが、少年イワンヘ惜しみない愛をこめて描いた戦場の詩(うた)です。あのいまわしい戦争が終って幾オ月、けれど、その傷あとは人々の心深く刻みこまれて消えることはありません。この映画の主人公イワン少年は肉親を失い、自らの若い命までも戦火の中に沈めてしまいます。監督はそのオ能の限りをつくして、戦争によって少年時代を奪われたすべての小さな魂を大切に描こうとして、ソビエト映画界に、きらめくような新鮮な人間性の発見を試み、見事それに成功しております。
 原作は五九年に出版された短篇小説「イワン」、ウラジーミル・ボゴモロフの代表作として、二十八ヵ国語に訳されています。この映画は六二年のベニス映画祭に出品されて、グランプリを、さらに同年、サンフランシスコ映画祭では監督賞を獲得、タルコフスキーの名を一躍、世界的なものにしました。
 タルコフスキー監督は、この映画のあと、『アンドレイ・ルブリョフ』でカンヌ映画祭批評家運盟賞を受賞し、ひきつづきSF映画『ソラリス』に取り組み、ますます多彩な活躍をしています。また、イフンを演じたコーリャ・ブルリャエフは『アンドレイ・ルブリョフ』に登場して、話題を呼びました。
 タルコフスキー監督は、イワン少年の一部始終を克明に追いながら、物語を、静かに、はげしく、また静かにくりひろげておりますが、見終ったあとの感動は、胸に痛みのようなそれを残しています。

――美しい緑の中の平和、母の夢に酔い、日ざめて、現実にかえるイワン少年の揺れうごく心をあざやかにみせながら、この映画は始まります。父も母も妹もなくし、一人残された十二才の彼、少年斥候として友軍に協力しているのも、ナチ・ドイツヘの限りない憎悪のためなのです。けれど幼いイワンを囲む大人達は、ガリツエフ上級中尉も、グリャズノフ中佐も、ホーリン大尉も、カタソーノフ古参兵も、彼をこのまま危険な仕事につかせておくにはしのびなかったのです。が、イワンは、大人達の愛情をはねつけます。イワンの心の中には、父や母や、そして妹の、すぎ去った幸福な顔がありました。それを奪った戦争が憎い、ドイツ軍が憎い、この僕たちの村を、緑でいっぱいにするために、イワンは必死に、危険な任務にとりすがっているのです。
 戦争はいよいよはげしくなりました。ドイツ軍の攻撃を浴びて、イワンを愛する人たちも次々と倒されていきます。悲痛な現実を前にしながらも、一日は夜を迎え、また、朝の訪れを告げます。イワンは、対岸の敵の情勢をさぐるため、命がけの斥候の役を、強引に買ってでました。幼い姿をかくした小舟が河を渡り、敵の前線地域へすすみます。イワンは勇躍して闇の中へ消えて行きました。
――そして、尊い犠牲者を数かぎりなく出しつづけたあと、やがて戦争は終りました。あの夜、敵の前線地域へ行ったまま、イワンの消息は絶えました。誰もその後、イワンの姿を見ていません。ドイツ軍の銃殺者の名簿にイワンの写真が残っていただけです。
――いま、平和な美しい祖国の岸辺、村の子供が遊んでいます。戦争さえなかったら、イワンもきっと、その子らと共に、美しい日々をおくっていたに違いありません。
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