[かいせつ]
レフ・ヴラジミーロヴィッチ・クレショフ(1899〜1971)は革命前からの古参映画人だが、1917年に俳優イワン・モジューヒンの顔のアップを2種類の画面にモンタージュして、違った表情に見える効果などを実験して、モンタージュ論の先駆者となった。革命後、1919年9月には、国立映画学校の設立に積極的に参加して教授となった。彼のもとからは、エイゼンシュテインやプドフキンが育ったことも名高い。
革命直後のソビエトでは、特に1923年ごろまで、欧米映画の人気が高く、アメリカ映画が盛んに上映されていた。一方、国立映画学校を中心とする若い映画人たちは、新しいソビエト映画の確立を目指していた。こうした中で、クレショフの生徒たちによる「クレショフエ房」が創立され、映画の演出・演技の実験が横み重ねられた。
彼らは、当時、大衆の人気を集めていたアメリカの活劇映画に注目し、その分析によって、急テンポでエネルギッシュなモンタージュを発見した。そして、それを理論化することで、ソビエト独自のモンタージュ論を作りあげようと試みた。その成果とも呼ぶべきものがこの作品である。
この映画は、当時、世界に流布されていた反ソ宣伝に反撃を加える諷刺劇だが、随所にアメリカ活劇映画の影響が見てとれる。この点は批判の対象となり、クレショフ自身「不用意にも自分たちの仕事の中にブルジョワ芸術の要素を導き入れてしまった」と自己批判した。このことは、やがて、ソビエトの映画行政との間に不和を生み出すもとともなって、クレショフを実作から遠避け、人生の後半を映画大学の教授として過させることともなった。
しかしながら、この作品の持つ斬新さと、映画ならではの躍動感は、今日なお新鮮であり、映画史上の偉大な作品のひとつに数え上げることができよう。
スタッフ、キャストには「クレショフ工房」のメンバーが大量に参加しており、この後に大監督となるプドフキン、バルネット、大女優ホーフロワ(クレショフ夫人でもある)らの名を見出すことができる。 |
[あらすじ]
アメリカ社会を代表する若きブルジョワのウェスト氏。彼は、世界で初めて誕生したボルシェヴィキの国、ソビエト連邦の視察旅行を計画した。ウェスト氏の読むアメリカの新聞は、野蛮なボリシェヴィキの暴れまわる恐ろしい「赤魔の国・ソビエト」の様子を伝えていた。彼は、自分の眼でその「赤魔の国」の実情を確かめようとしたのである。
ウェスト氏はボディガードのカウボーイ、ジェディを伴って、モスクワに到着した。革命直後のモスクワには、まだ投機師やギャングなど怪しげな連中が跳梁跋扈していた。そのひとりの自称「伯爵」のジバンは、ウエスト氏に目をつけた。アメリカの新聞が描く通りに「赤魔の国」を演出して、ウェスト氏を脅迫しようというのだ。
こうして、ウェスト氏は、西部劇もどきの事件に次々と巻き込まれることになる。そのあげく、裁判にかけられ、ついには銃殺刑を宣告されてしまう…… |
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[スタジオ/製作年] ゴスキノ 1924年製作 |
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[スタッフ] 脚本:ニコライ・アセーエフ
監督:レフ・クレショフ
撮影助手:アレクサンドル・レヴィツキー
美術:フセヴォロド・プドフキン |
[キャスト] ウエスト氏:ポルフィリ・ポドーベド
カウボーイのジェディ:ボリス・バルネット
「伯爵夫人」:アレクサンドラ・ホフーロワ
「伯爵」ジバン:フセヴォロド・プドフキン
片目の男:セルゲイ・コマーロフ
「伊達男」:レオニード・オボレンスキー
アメリカ人エリー:ワーリヤ・ロバティーナ
旅行者セーニカ・スヴィーシチ:ゲ・ハルラムピエフ |
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[ジャンル] 長編劇映画
[サイズ] 35mm / 黒白 / サイレント
[上映時間] 1時間(24駒/秒) |