スタッフ キャスト スタジオ 解説 ストーリー 諸元 スチール ポスター/チラシ

孤独な声
ОДИНОКИЙ ГОЛОС ЧЕЛОВЕКА
Man's Lonely Voice

[かいせつ]
1987年モスクワ国際映画祭A・タルコフスキー記念特別賞
1987年ロカルノ国際映画祭銅豹賞

 アレクサンドル・ソクーロフ監督の幻の長編処女作。内戦後の困難な時代、苛酷な生活に苦しみながらも精神の高潔さを失わずに生きようとした人々の孤独と愛を、随所に記録映画を挿入した、実験的で独得な映像言語で綴った美しい映像詩ともいうべき作品である。
 ソクーロフは、1986年5月以降のペレストロイカ後、初めて名前も作品も知られるようになった監督で、1951年生れ。69〜75年はゴーリキー市のテレビ局に勤務し、74年、ゴーリキ大学歴史学科卒業。さらに79年全ソ国立映画大学監督科を卒業した。在学中は科学普及映画の第一人者アレクサンドル・ズグリジ監督に師事、記録映画「マリヤ・ヴォイノワの夏」(75)を製作し、卒業制作に長篇「孤独な声」(78)を監督した。これは現代ソビエトの作家アンドレイ・ブラトーノフ(1899〜1951、作品が批判を受けて不遇のうちに死んだが"雪どけ"後、再評価を受けた)の30年代の短篇小説「ポトゥダー二河」と「職人の誕生」からのエピソードの映画化で、監督は長篇映画として製作することを希望したが短篇の予算しか許されなかった。撮影は大学のスタジオと、かって監督が勤務したことのある、故郷のゴーリキー市のTVスタジオで行われた。そして完成後も、"長すぎる"等も理由に、大学側は卒業作品として認めなかった。
 一方、この作品を一般公開するよう、国家映画委員会に申し入れるなど奔走したのは故アンドレイ・タルコフスキーだった(この映画はタルコフスキー監督への献辞で結ばれている)。が公開は実現せず、そればかりか、卒業後、タルコフスキー監督の推薦で入ったレンフィルムで製作した長篇「悲しむべき無関心」(83)及び記録映画スタジオで製作した作品の殆んど「アルト・ソナタ、ドミトリー・ショスタコヴィチ」(81)、「そして何もない」(83)、「忍耐、労働」(85)、「エレジー」(85、86年タンペレ国際映画祭FIPRESSI賞)「夜の犠牲」(84)などは、いづれも公開は86年、ペレストロイカ後である。
 「孤独な声」はプリントが危うく滅却をまぬがれて、監督自らの手で守り通すことができたため専門家の間で秘かに鑑賞され、その映画言語の可能性を拡げる試みは高く評価されるところとなった。厳しい肉体労働の現場を写した記録フィルムをスローモーションで見せることで、主人公の精神的苦痛と緊張を表現した場面などはその一例である。また、音声は全て同時録音によっているほか、俳優の固有のイメージからくる先入観を避けるため、主役の二人は無名の新人を起用している。
 ソクーロフ監督は、この映画を国内戦後の、社会が疲幣した時代に、飢え、疾病、そして死と隣り合せの苛酷な生活にさらされながらも、精神の高潔さを失わずに生きていた人々への「墓碑銘」と語り、「若い男の高尚な精神的主張のプリズムを通して愛と官能のモチーフを再認識する事は、いかに精神の孤独な声が物質を前にしてかき消されてしまうかを知ることにつながる」とも語っている。
 なお、同じ原作をモチーフにした作品にアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督の「マリアの恋人」がある。ソクーロフ監督は、死後の世界を水底にあると信じて川に飛込む男(「職人の誕生」)のエピソードを加えることによって、ニキータの精神的な彷徨と復活を象徴させようとしている。

[あらすじ]
 国内戦が終った年の初秋のある日、赤軍兵士ニキータは、年老いた父親が住む故郷の村に復員してきた。村人の多くがいなくなって荒廃した村には、みなし児となったリューバが一人でニキータを待っていた。リューバの母親は未亡人で村の小学校の教師だった。やもめだったニキータの父は彼女との結婚を考えたこともあったが、教育のない彼は、釣り合わぬ縁とあきらめたのだ。
 そんなこともあって、ニキータは子供のころ、よく父に連れられてこの母親の家に遊びに行ったものだ。そこには、このあたりでは珍しい立派な調度があり、ピアノがあった。 疲れ果てた身をいやしたニキータはある日、美しい並木の木陰でリューバと再会した。その後、リューバの家まで足をのばしたニキータは、もはや何もなくなった彼女の部屋で、過ぎ去った日の幻を見た。リューバはわずかな奨学金で生活を支えながら、医師をめざして医科大学で勉強していた。食うや食わずの毎日で、隣に住む女友達のジェーニャが家族の目を盗んで差し入れてくれるわずかな食料が頼りだった。そのジェーニャも、チフスで死んだ。遺体を納める枢もない。見かねたニキータは、復員後に就職した木工所での仕事の合間に枢を作る。
 それ以来、ニキータは毎日リューバをたずねるようになり、木工所の食堂で出る昼食の一部をさいては届けたりした。
 そんな折、ニキータが重い病気にかかる。姿を見せなくなったニキータを案じたリューバが、やっと4日目に彼の家を探しあてた時、ニキータは殆んど意識もないまま倒れていた。リューバは彼を自宅に運んで看病する。ニキータは肉体的にも精神的にも困憊していた。
 やがて春、リューバが卒業するのを待って、二人は結婚した。生活は相変わらず貧しかったが、ニキータは彼女がそばにいるだけで、いや、彼女のことを思っているだけで幸福だった。しかし、その彼は若い妻との肉体関係を、嫌悪すべきもの、精神的な愛とは相容れぬもの、愛する妻を卑しめるものと考え、プラトニックにしか彼女を愛することができない。だが、その一方で、肉体的に愛することなくリューバの幸福がありえるだろうか、という思いが彼を苦しめた。悩み抜いた末、彼は家を出て、町で放浪の生活を送るようになる。
 やつれ果てたニキータを偶然見つけだしたのは、町に買い出しに来た父親だった。そして、リューバが川に身投げしたこと、幸い近くにいた漁師に助けられたことを父親から聞かされたニキータは、妻のもとに戻ることを決心する。

[スタジオ/製作年] レンフイルム1978年・製作
              Production:"LENFILM"STUDIO

[スタッフ]
原作:アンドレイ・プラトーノフ
脚本:ユーリー・アラボフ
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
撮影:セルゲイ・ユリズジツキー
顧問:リヴィヤ・ズヴォンニコワ
    マリヤ・プラトーノワ
Based on a novel by Andrei PLATONOV
Screenplay by Yury ARABOV
Directed by Aleksandr SOKUROV
Director of photography : Sergei YURlZDITSKY
Adviser : Liviya ZVONNlKOVA
      Mariya PLATONOVA

[キャスト]
リューバ:タチヤナ・ゴリャチョワ
ニキータ:アンドレイ・グラドフ
ニキータの父:V・デグチャリョフ
リューバの母:L・ヤコヴレワ)
LYUBA : Tatyana GORYACHYOVA
NIKITA : Andrei GRADOV
NIKITA'S FATHER : V・DEGTYARYOV
LYUBA'S MOTHER : L・YAKOVLEVA

[ジャンル] 長編劇映画
[サイズ] 35mm / スタンダード / カラー /
[上映時間] 1時間26分
[日本公開年・配給] ソビエト・シネマ・フェア'88 1988/11/5 ・ 日本海
索引ページに戻る
Homeページに戻る
ソヴェート映画史ロシア映画社アーカイブス
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送