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「クロイツェル・ソナタ」パンフレット(1989年11月11日発行)より転載
映画とトルストイ
ミハイル・シヴェイツェル
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るのだが、その実、作者が意図する道徳的帰
結へと読者を導くのである。トルストイのあ
とを追うためには、その作品の一行一行の中
に、この指針を見分けることが必要である。
 ちなみに、散文の映画的読み方を私どもに
教え込んだのは、かのセルゲイ・エイゼンシ
ュテインだった。肝心なのは、どう読むか、
である。その教えによれば、映画監督たるも
のは、散文の芸術性を楽しむかたわら、その
構成要素を読み取り、作品の芸術的本筋に著
者の思想が浸透しているさまに気づき、それ
を記録し、かつ、理解しなければならない、
ということだった。
 トルストイの作品には、偶然使われている
言葉は一語もない。そして作者の思想が、
作品全体に、ごく自然に一様に浸透し、一語
一句がその思想に息づいている。

 ……トルストイは、他のどの作家にもまし
て、読者が作品中のかれの思想および感情を、
明確に、一義的に理解し、それらに引き込ま
れることを望んだ。そのために、かれは同じ
一つの現象、同じ一人の人物に、あらゆる方
向から光をあて、結果的に全ての読者に一定
不変の解釈がされるように努めた。
 このことは映画においても、表現技術の重
要な条件である。映画監督の手腕とはどんな
ことか。それは、ある人物がある状況の下で
取りうる百の行動パターンの中から、たった
一つの、決定的なものを選び出す技である。
トルストイは、このことを教示している。
 映画は散文と比較して、より無駄のない表
現手段を有しているので、人の知性や心に働
きかけるにあたって、「戦争と平和」、「アンナ・
カレーニナ」、あるいは「復活」の著者とは異な
った途を見つけ出さなければならない。しか
も、観客には、これらの小説を読んだ後とお
なじ思いと感情を、最終的にはいだかせる。
これをやりとげるのは、もちろん、容易なこと
ではない。
 私の考えでは、トルストイの映画化の成否
は、かれの道徳的教訓が、観客に最終的に受
け入れられたかどうかにかかる。「復活」の映
画化に取り組んでいた時、私はこのことを念
頭に置いて、人間の人間に対する責任、つま
り、何人も相手を自分の快楽の手段にしたり、
利用したりしてはならないということ、を強
調した。世の中には、善と真実がある反面、
人を、ひいてはその人生をもだめにする嘘
と偽りがある、というのがトルストイの思想
の基本である。
(M・シヴェイツェル「監督修業」"映画芸
術"誌1978年9月号掲載 より抄訳)
●アンナ・カレーニナ(アレクサンドル・ザルヒ監督)

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