〈かいせつ〉 ●この映画はグルジヤの独学の天才画家 ニコ・ピロスマニの数奇な生涯を描く映 像詩で、一九七四年シカゴ映画祭でゴー ルデン・ヒューゴ賞、アゾロ国際映画祭 で最優秀伝記映画賞を受賞している。 ●グルジヤ(ソビエト連邦の一共和国)は、カ スピ海と黒海にはさまれた東洋と.西洋の接 点、コーカサス山系の長寿で知られる、長 い歴史と豊かな自然に恵まれた国である。 古くから文明が栄え、古代ギリシャの物 語には、黄金羊毛を求めてアルゴー船が 訪れた黒海沿岸のコルヒダの地名もみえ る。しかし、交通貿易の要衝であったた め、しばしば異民族の侵入を受け、支配 者も何度ととなく変った。こうした長い 歴史を通じてグルジヤ王国が隆盛をきわ めたのは一二世紀、タマーラ女帝の時代 で、民族文化が高揚し、愛国の詩人ショ タ・ルスタヴェリらが輩出した。そして 一八世紀、それまで数世紀にわたってト ルコやペルシャの争奪にさらされてきた この地はロシヤ帝国の植民地となり、以 後急速なロシヤ化の波の中で土地を取り あげられた農民は屈従の生活を強いられ ることになる。この地にソヴェート政権 が樹立されたのは一九二〇年のことである。 ●ピロスマニ(一八六二〜一九一八)はグ ルジヤの小さな村ミルザーニに生れ、そ の才能を世に認められることなく、孤独 のうちに六〇年の流浪の生涯をチフリス (現在のトビリシ)で終えたと伝えられて いる。だがかれの絵は第二次大戦後になっ てモスクワ、プラハ、パリ等で展覧会が 開かれ、「ロシアのアンリ・ルソー」とし てそのプリミティブな画風が高い評価を 受けることとなった。日本でも七七年、 近代美術館の「素朴な画家たち」展で数点 の作品が紹介され、少年のような心で描 いたナイーヴな絵は、絵画愛好家たちの 間に静かな感動を呼んだ。 ●ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督は兄 エリダル("白いキャラバン"他)ととも に現代グルジヤ映画の代表的な監督の一 人、父は"二六人のコミッサール"で知 られるグルジヤ映画創世期の監督ニコラ イ・シェンゲラーヤ、母は女優ナト・ ワチナーゼという映画一家に育ち、モス クワの国立映画大学ではアレクサンドル・ ドブジェンコ監督に師事した。在学中に 俳優としてもスクリーンに登場している が、同時にその頃、すでにピロスマニを めぐる記録映画を撮っている。夫人は戦 前のグルジヤ映画の監督ミハイル・チア ウレリの娘で女優ソフィコ・チアウレリ。 シェンゲラーヤ監督は名も知れず清廉に 生き、そして描き続けた同郷の画家に寄 せる憧憬にも似た情熱で、この画家の半 生を描いただけでなく、グルジヤの美し い風土やそこに住む民族の心や生活をも 見事に映像化して民族性豊かな、芸術性 の高い秀作を作りあげている。 ●シェンゲラーヤ監督がピロスマニ役に 抜擢した美術監督アフタンジル・ワラジ は画家で建築家でグラフィック・デザイ ナーでもある現代グルジヤの代表的な美 術家の一人で美術史にも精通しており、 単純だが偉大な、孤独でいながら大胆な ピロスマニの個性とそのナイーヴな内面 世界を見事に演じている。だが惜しまれ ることに、かれの映画出演はこれが最初 にして最後となった。七七年三月、病気 のため五一才で夭逝した。 |
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