★巨星の死が投げた波紋
 映像詩人アンドレイ・タルコフスキーの輝
ける才能の天逝を惜しむ声は、この監督が亡
くなって早や半年、ますます世界の映画ファ
ンに高まりっっあります。82年より、海外で
の製作活動を余儀なくされながら、なお母国
ロシアへの望郷の念を作品に讃いあげ、しか
も、現代社会における不条理に迫って世界の
救済を祈ってやまなかったこの巨匠の映画は
また、時空を越えて飛翔する映像の素晴らし
さと可能性を私達に無限に暗示してきました。
 この巨星の喪失を悼むのに言葉は不用と嘆
かわせ、しかも沈黙してこの悲しみを耐える
には我々はいままで余りにもタルコフスキー
について寡黙でありすぎたと、折から映画界
に進む改革の動きと相まって、ソビエトの映
画人たちはこれまでこの監督が受けた不遇を
いま、痛恨の思いで語っています。また87年
七月、モスクワの第15回国際映画祭は、これ
まで未公開だった「アンドレイ・ルブリョフ」
のノーカット版を含む全作品の回顧上映を行
うなど、タルコフスキー監督作品への研究・
評価は母国でも一挙に進みつつあります。
 アンドレイ・タルコフスキー監督は一九三二
年、モスクワの生れ。卒業製作「ローラーと
バイオリン」(61ニューヨーク国際学生映画コ
ンクール一位)で衆目を集め、つづく長篇第
一作「僕の村は戦場だった」(62)でヴェネ
チア映画祭金獅子賞を受賞、この映画は戦火
に巻きこまれ、パルチザン活動に加わること
になった少年の苛酷な現実生活と、その少年
の記憶に残る平和な日々の好情にみちた描写
との明暗のコントラストが鮮烈な印象を与え
て、当時、世界的な反響を巻きおこしました。
以後、「アンドレイ・ルブリョフ」(67カン
ヌ映画祭批評家連盟賞受賞)「惑星ソラリス」
(72カンヌ映画祭審査員特別賞他)「鏡」(75)
「ストーカー」(79)を製作、その後は海外
で製作を行い、「ノスタルジア」(83カンヌ
映画祭創造大賞他)「サクリファイス」(86
カンヌ映画祭審査員特別大賞他)の二本を遺
して、八六年十二月二八日、パリに客死しま
した。


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