■地上に楽園を夢見て走り続けた男たち 凍てついたステップを冷たくなった他殺体を乗せて、 地平線も見えぬ朝もやの中に消えて行くトラック…… 繰り返された殺人事件を追ってラプシンは今日もサイ ドカーを走らせる。革命戦で負傷した身にもかかわら ず、地上に楽園を夢見て働きつづける刑事ラプシン。 悪を憎み、未来を信じ、芝居を愛し、友を信頼し、真 の愛を全うしようとした男たち−−。時は1935年、ス ターリンによる厳しい粛清が始まる直前のことである。 ■歴史の空自を埋める話題作 「わが友イワン・ラプシン」はある港町で人々を恐怖 にさらした殺人鬼を追う刑事ラプシンとその仲間たち の愛と友情の物語である。そして、物語の背景となっ た1930年代は、ソビエト映画史上これまで、社会主義 建設にいそしむバラ色の時代のように描かれてきたが、 現実には人々はむしろ物質的にも精神的にも苦難の道 を歩んでいた。この映画はそうした時代の実相を、痛恨 の時代の一断面を初めてリアルに、あからさまに映画化 して、歴史の空白を埋める画期的作品として注目され、 完成して二年半後、ソビエト国内ではまづ、TVで放 映され、大きな反響があった。 ■レニングラード派の台頭 監督のアレクセイ・ゲルマンは70年代、ニキータ・ ミハルコフらのモスフィルムの“ニュー・ウェーブ” が胎動を始めたのと同じ頃、レンフィルムの伝統を受け 継ぐ新しい世代として登場したが、その当時、モスク ワ中心の硬直化した映画行政のために、一連の作品が 殆ど陽の目を見ることがなかった“レニングラード派” の一人。タルコフスキー監督の薫陶を受けたアレクサ ンドル・ソクーロフらを含む“レニングラード派”は いま、ソビエト映画の新しい潮流の一つとなっている。 ■ソビ=卜映画の次代を担うゲルレマン監督 ゲルマン監督は1938年生れ。父で作家のユーリー・ ゲルマン原作の映画化「道中の点検」で監督としてデ ビューするが、この作品は15年間、上映が棚上げとな っていた。第二作「戦争のない20日間」(76)はフランス でジョルジュ・サドウール賞を受賞、9年後にパリで 公開されるや「アンドレイ・タルコフスキーやニキー タ・ミハルコフに匹敵する名匠」と称讃された。つづ く第三作「わが友イワン・ラプシン」も一時、公開が 保留されたりしたが、86年度ソビエト・スクリーンで ベストテン6位、海外でも86年にロカルノ国際映画祭 銅豹賞、FIPRESSI賞を受賞、アメリカ、フランス、 イタリアなどでも上映され、絶讃を得た。 |
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