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私はモスクワを歩く
Я ШАГАЮ ПО МОСКВЕ
I Walk Around Moscow

[かいせつ]
 1960年代のはじめ、いわゆる"雪解け"とともにソビエト映画界からは若い世代による新しい感覚の作品が一挙に現れた。1930年、グルジア共和国トリビシ生まれのゲオルギー・ダネリア監督もその一人で、監督高等科コース卒業後、同窓のイーゴリ・タランキンと共同演出した処女作「セリョージャ」(1960年)でデピューした。この「セリョージャ」がその年の第8回カルロヴィ・ヴァリ映画祭でグランプリを受賞して、ソビエト映画に新しい世代の才能が開花しつつあることを世界に知らしめて、ダネリアとタランキンは一躍、時代の寵児となった。
 2人はその後各自単独の創作活動に入り、タランキンは「人生のはじまり」(1963年)でヴェニス国際映画祭で審査員特別賞とイタリア映画批評家賞を受賞。ダネリアもまた、この「私はモスクワを歩く」がカンヌ映画祭で絶讃を博し、「この映画で示した個性と将来性にたいして」特別賞を得るところとなった。(その後もダネリア監督は活発な活動を続け、1986年の『不思議惑星キン・ザ・ザ』という日本でもヒットした怪作もある)
 モスクワの平凡な若者たちの生活を描くこの作品は、若い俳優たちの新鮮な演技と相まって、ダネリア監督のスマートでみずみずしい演出が、戦後世代の日常感覚をみごとに表現した傑作である。
 スタッフ・キャストともに当時10代を交えた若物たちだった。カメラのユーソフは「僕の村は戦場だった」(1962年 アンドレイ・タルコフスキー監督)で、すばらしい黒白撮影を見せたが、この作品でも黒白ワイドの画面を生かした新鋭らしい新鮮なカメラワークが光っている。主演女優のポリスキーフも同じヴェニス映画祭の児童映画グランプリ作品「野性の犬ジンゴ」の主役に披躍された国立映画大学の学生だった。 ロクテフも「鳩よ、さようなら」 (1961年)でデビューしたばかり。そして注目すべきは、後に映画監督になり現代ロシア映画界の指導者となるニキータ・ミハルコフが俳優として出演していることである。この時、彼は演劇大学の学生で同窓のステブロフとともに銀幕デビューとなった。美しい叙情と快適なテンポをもつペトロフの主題歌とともに、歌の上手な若者コーリャ役のミハルコフはロシアの人々に愛され長く記憶されることになったのである。

[あらすじ]
 昨日までまったく面識もなく、数千キロも離れたところで生活していた2人が、今日は、偶然、地下鉄の同じ列車の中に隣り合せて乗っていた。2人は同じ年頃の若者で、自分ではすでに大人のつもりだが、まだ子供からぬけきっていない。その一人、コーリャは、モスクワ生れ、地下鉄の工事現場で働らいている。ちようど夜勤を交替して家に帰るところだった。もう1人のワロージャは、シベリアの奥地に住んでいるが旅行の途中、一日だけモスクワに滞在する予定で、たった今、飛行場についたばかりだった。やわらかい朝の太陽の光に目ざめようとするモスクワの街を歩いて行く、街には、まだ夜の照明がついていた 。
 コーリャの親友サーシャは婚約者と口論しながらも、黒い礼服を買い、5時からその服を着て結婚式を挙げることになっている。アリョーナはデパートのレコード売り場の可愛いい売り子だ。
 この4人が、いつしか出会い、いつもと違う慌しさに巻き込まれていく。コーリャは、遠来の客ワロージャをもてなしたり、友人のサーシャが結婚式を前にして軍から召集命令が来て、軍事部に行って延期を願ってやったりと大活躍。
 デパートでは、アリョーナがコーリャとワロージャとの心を一ぺんにとらえてしまう。ワロージャは雑誌に短篇小説を発表したことがあり、それがある有名な作家に認められたので、ワロージャはコーリャと連れだってその作家を訪ねる。扉を開けてくれた床磨きの男を二人は作家と思い込んで感激して話に耳をかたむける。
 コーリャはアリョーナの気をひくため催眠術ができることを自慢するが、催眠術の実験がもとで、泥棒さわぎにまき込まれ警察につかまってしまう。
 どうにか事件も終って、4人は、サーシャの結婚式に集まる。もめにもめたサーシャの結婚式もどうやらめでたく挙行され、愉快な一日が終る…

[スタジオ/製作年] モスフィルム・1963年製作

[スタッフ]
脚 本:ゲンナージ・シュパリコフ
監督:ゲオルギー・ダネリヤ
撮影:ワジム・ユーソフ
作 曲:アンドレイ・ペトロフ

[キャスト]
アリョーナ:ガリーナ・ポリスキーフ
ワロージャ:アレクセイ・ロクテフ
コーリャ:ニキータ・ミハルコフ
サーシャ:エフゲニー・ステブロフ

[ジャンル] 長編劇映画
[サイズ] 35mm / 黒白 / シネマスコープ / 8巻
[上映時間]
1時間13分
[日本公開年]
 1964/10/28 第2回ソビエト映画祭(東京・有楽町読売ホール 10/30新潟・松竹大竹劇場)にて上映

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パンフレットソヴェート映画史−七つの時代
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