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十月
ОКТЯБРЬ
ソフキノ1928年・製作
(サウンド版 モスフィルム・1968年製作)

★スタッフ
脚本・監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン
       グリゴーリー・アレクサンドロフ
撮影:エドゥアルド・ティッセ
美術:ワシリー・コヴリーギン
音楽(68年サウンド版):ドミトリー・ショスタコーヴィチ

★キャスト
レーニン:ワシーリー・ニカンドロフ
ケレンスキー:N・ポポフ
大臣テレシチェンコ:ボリス・リワーノフ
N.ボドヴォイスキー:本人
ドイツ軍士官:エドゥアルド・ティッセ
その他:レニグラード市民

35mm/スタンダード/モノクロ/オジナルはサイレント
1時間41分(サウンド版 24駒/秒)
日本公開 1969/12/28  配給 ATG
VIDEO=IVCV-3073S アイ・ヴィー・シー
●かいせつ
 1917年の2月革命から10月革命にいたるまでの歴史的過程を再現した壮大な映画叙事詩。
 1927年、三部作『中国』の撮影を情勢の変化で取りやめたエイセンシュテインは、農村の社会主義化をテーマとする『全線』の撮影を開始していたが、政府の十月革命記念委員会より十周年記念映画の製作を依頼されたため、『全線』を一時中断して『十月』の撮影に取りかかった。
 これは革命の幾つかのモニュメンタルなエピソードを再現させるとともに、劇映画で初めてレーニンを登場させた作品となった。そのレーニンはウラル地方の労働者で、ソビエト代議員ワシーリー・ニカンドロフが扮している。
 エイゼンシュテインはこの作品でも徹底した記録映画的手法によっていて、クライマックスの冬宮襲撃をはじめ、7月デモに対する血の弾圧、フィンランド駅前広場でのレーニンの演説などの群衆シーンが圧倒的な迫力で描かれる。
 同時に、ケレンスキーの登場やコルニーロフ将軍の反革命反乱、ソビエト大会でのメンシェヴィキ派の演説といったエピソードでは、例えば、コルニーロフの"神"を嘲弄するために、古来の"神"の偶像からキリストまでの"神"をモンタージュして見せるなど象徴的映像の組合わせから生じる心理的連想を用いた「知的モンタージュ」が実践された。しかし、その複雑で難解な風刺スタイルは議論の的となった。
 さらに、この映画は11月7日の十周年記念日に間に合うべく完成されたにもかかわらず、当日は部分的にしか上映されず、トロツキーの登場場面などを含むカットを行って、28年3月に初めて公開された。17年の革命で重要な役割をはたしたトロツキーが登場しない全体の構成は、作品に禍根を残しすこととなったのみならず、後に政治に翻弄されることとなるエイゼンシュテインの運命を暗示していた。
 67年の革命五十周年を機会に、共同監督を勤めたアレクサンドロフが一部カットされていたフィルムを復元、ショスタコーヴィチの音楽を加えたサウンド版を完成させた。
●あらすじ]
 1917年3月(旧暦2月)、アレクサンドルV世の鋼像が引き倒される。第一次大戦の最中、ロシアの民衆は遂に帝政を打倒した。ブルジョアジーは臨時政府の成立を祝い、前線では、平和の到来を期待してロシアとドイツの兵士達が固い握手を交そうとしていた。だが、政権を取ったブルジョア臨時政府は、戦争続行を命令する。
 4月、ペトログラードは飢えと寒さに苦しんでいた。レーニンは亡命先から帰国し、フィンランド駅頭で臨時政府打倒を訴え「全ての権力を労農ソビエトヘ!」と声明する。
 7月、ペトログラードの労働者、農民、水兵の平穏な非武装のデモ隊に対して政府側が機関銃を掃射した。レーニン率いるボリシェヴィキの事務所や機関紙"プラウダ"の印刷所が襲撃され、ボリシェヴィキは再び地下活動を余儀なくされる。そして、社会革命党のケレンスキーが首相となって、冬宮に入った。一方、軍部独裁政権を狙う反革命派のコルニーロフ将軍も「神と祖国の為に」と言うスローガンを掲げてペトログラードへ進撃を開始する。
 混沌とした中、労働者や兵士はコサック兵を味方につけると武器を取り、コルニーロフを粉砕した。
 10月、ボリシェヴイキーの中央委員会は11月6日の武装蜂起を決定する。
 そして11月7日、第ニ回ソビエト大会が開かれると時を同じくして、ネヴァ河に浮かぶ巡洋艦オーロラ号の砲撃を合図に臨時政府最後の砦、冬宮への総攻撃が開始された……。
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