●かいせつ 1979年モスクワ映画祭名誉金賞受賞
この映画は撮影されてから完成するまでに半世紀の歴史がある。
1928年、エイゼンシュテインは助手のグリゴリー・アレクサンドロフ、カメラマンのエドゥアルド・テイッセを伴って、誕生したばかりのトーキー映画の実情調査とハリウッドで映画製作を行うために、アメリカへ渡った。アメリカでの映画製作は実現しなかったが、エイゼンシュテインはかねてから希望していたメキシコでの映画撮影を実現することにした。
アメリカの作家アプトン・シンクレアらが組織した「メキシコ映画トラスト」の資金援助で30年末から撮影は開始された。悠遠な古代からの歴史と文化をいまにとどめるメキシコの自然と大地に魅せられて、かれらは精力的に仕事に取り組んだ。
一切のキャストを現地人(半農奴や実際の警官)で固め、セットを使わない徹底したドキュメンタリー型式を採用、数篇の象徴的な挿話から成り立つユニークな構成によって、古代マヤやアステカの神々の時代から2000年に及ぶメキシコの"民族の生きた歴史"を鮮烈なイメージにして甦えらせようとしている。また、この作品で「ワン・ショットヘの深い凝視」と呼ばれる新しいスタイルの映像表現を試みようとした。
しかし、32年1月、映画は一部を未撮影のまま、資金不足とシンクレアとの意見のくい違いが原因で、製作が中止され、すでに撮影ずみネガのハリウッドでの編集作業も諸搬の事情で実現しないまま、エイゼンシュテインはアメリカにネガを残して帰国した。
その後、出資者としての権利を主張するシンクレアは、この素材から短篇『メキシコの嵐』(33)を製作したほか、エイゼンシュテインの研究家マリー・シートンによる『タイム・イン・ザ・サン』(39)や、何本かの短篇映画、さらには他の劇映画へのカットの利用までおこなわれた。いずれもエイゼンシユテインの構想とはかけ離れたものであった。
72年、長い交渉のすえ、ニューヨーク近代美術館に保管されていたネガがモスクワの国立フイルムフォンドに返還され、撮影スタッフでただ一人の生存者、アレクサンドロフ監督らの手で当時の脚本やその他膨大な資料を基に編集し、79年、撮影から実に半世紀を経て、完成させた。
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●あらすじ] 《プロローグ》
ユカタン半島に残る古代マヤ文明の遺跡がとこしえに変らぬ「時」の流れを語りかける。
第1話《サンドゥンガ》
古い民謡サンドゥンガの調べにのせて、美しい乙女コンセプシオンの結婚式が繰り広げられ、植民地となる前のメキシコの平和な生活が彷彿する。
第2話《フィエスタ(祭り)》
ロマンチックで神秘的なグアダルーぺの聖処女祭が描かれる。スペインのコルテスに占領された植民地時代のメキシコである。
第3話《マゲイ(竜舌蘭)》
20世紀初頭、ポルフィリオ・ディアスの独裁時代の悲劇の物語。プルケ(火酒)を醸造する竜舌蘭の農場で働く農奴セバスチャンは、許嫁マリヤが地主の家で乱暴された為、地主に抗して戦うが仲間と共に殺される。
第4話《ソルダデーラ(女兵士)》(未撮影・写真のみ)
1910年のメキシコ革命の兵士たちと行動を共にする女達の物語
《エピローグ》
1931年のメキシコ。伝統的な"死の日"のカーニバルを描き、死を嘲笑するメキシコ民衆の姿を通して"生の勝利"を謳いあげる。 |