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イーゴリ・スクリャール ИГОРЬ СКЛЯР 1974年、15歳の夏休みに、クルスクからモ スクワヘやって来て、地下鉄の駅で偶然に、 映画「北方艦隊の水兵」(ウラジーミル・ロゴ ボイ監督)の監督助手の眼にとまり、主演の 4人の少午兵の役の一つに抜擢されたのが映 画出演の最初である。子供の頃から、ピアノ とバイオリンを学んでおり、その音楽の才能 はこの時大いに役立ち、吹き替えなしで歌い、 踊る役をこなした。ロゴボイ監督はこのあと、 自分の他の作品でも、主題歌をスクリャール に吹き込ませている。 そんなわけで、中学校を卒業すると、とも に技師である両親の心配をよそに、本人はレ ニングラードの国立演劇・音楽・映画大学を 受験、見事にパスして、俳優科に入った。そ して79年、卒業後、レニングラードの名門マ ールイ・ドラマ劇場に入り、現在、同劇場の 舞台で活躍している。 これまでTV映画「ミュージック・ホール だけは」(80)、「女性にはご用心!」(81)など に出演し、「ジヤズメン」は初めての主演映画 だが、83年度のモスフィルムの最優秀新入俳 優賞の受賞、映画のヒットでスクリャールは 広汎な人気を得た。すでに、この秋、日本で 公開されるソピエト・イギリス合作「アンナ・ パプロワ」にも出演した他、多くの出演依頼 がまいこんでいるという。 初めての主演映画
この映画はすべてがわたしにとって興味深──イーゴリ・スクリャール── いものでした。作家としても著名な監督がア レクサンドル・ボロジヤンスキーと共同で執 筆した素晴らしい台本、人物のはつらつとし た性格、20年代を生き生きと伝える雰囲気、 そして敬愛すべき共演者たち─エフゲニー・ エフスチグネエフ、ピョートル・シチェルバ コフ、監督でもあるバンクラトフ=チョール ヌイ……。この刺激的で、愉快なミュージカ ル・コメディで、わたしも歌い、踊ることに なりました。 |
エレーナ・ツィプラコワ ЕЛЕНА ЦЫПЛАКОВА レニングラードの女流監督ジナーラ・アサ ーノワが映画「きつつきの頭は痛まない」(74) のヒロインにツィプラコワを招いた時は、彼 女はスポーツ学校で短距離に熱中する、やん ちゃな15歳であった。その後、数本の映画に 出演、1年半後、アサーノワ監督が映画「渡 せない鍵」(76)で彼女と再会した時には、静 かで、思慮深い、愛くるしい少女に変身して いた。少女は女優になる決心をして、76年秋、 モスクワの国立映画大学に入り、レフ・クリ ジャーノフ監督やタチヤナ・リオズノワ監督 に師事、79年卒業した。 在学中から「憎悪」(77)、「学生ワルツ」(77)、 「成入した息子」(79)の他、多数の出演映画 があり、「ダルタニアンと三銃士」(78)、「カー ル・マルクス、若き日々」(80)などTV映画に も多く出演している。映画大学卒業後は、モ スクワのマールイ劇場に所属し、舞台俳優と しても忙しい日々だが、現在は映画大学監督 科で勉強中でもある。 ロマンチシズムの紗に被われた時代
この映画を観たら、年配の人たちは自分の──エレーナ・ツィプラコワ── 青春を思い起すでしょうし、若者たちは先輩 たちも、また、新しいものを志し、愛やロマン チシズムを探求することにかけては自分たち に決してひけをとらなかったことを知って、 驚くかもしれません。 わたしが演じたカーチャは、"ロマンスの女 王"と言いましようか―。かの女はいちずな性 格で、音楽に取りつかれています。この役づ くりは、音楽と、その音楽を生み出した20年 代についての、明るく、ショウ風の映画のス タイルにふさわしく、グロテスクとリリシズ ム、音楽とユーモアの結合の上に成されなけ ればなりませんでした。あの時代はわたした ちの世代から見れは、ロマンチシズムの紗に 被われています。わたしはそんな時代の若い 女を演じることを心がけました。 |
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