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「ストーカー」(1981年10月31日発行)より転載 |
フスキーを父にモスクワに生れる。 子供時代は戦争中であり、その苦い 体験は間接的にイワンの悲劇(「僕の 村は戦場だった」)に影を落し、自伝 的作品「鏡」に詩的に再現されている。 51年より東洋学単科大学に在学し て中退、その後、54年、全ソ国立映 画大学監督科に入り、ミハイル・ロ ンム監督に学ぶ。アンドレイ・ミハ ルコフ=コンチャロフスキー、故ワ シーリー・シュクシン監督らと同窓 だった。ミハルコフ=コンチャロフ スキー監督とともに60年代のソビエ ト映画の重要な潮流を担い、さらにそ の後も着実に、深く透徹した眼で現実 を見つめた作品を発表し続けている。 卒業制作「ローラーとバイオリン」 を含め、5本の映画を製作している が、そのすべてがわが国でも公開さ れ、芸術家としての鋭い感性と豊か な才能で多くの映画ファンを魅了し てきた。 なお80年、イタリーで「ダヴィド ・ドナテルロ賞」を受賞、以後、イ タリーで合作映画“ノスタルジア” に取り組んでいる。 |
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