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「ストーカー」(1981年10月31日発行)より転載 |
●スタッフ・キャストの横顔 |
16 | アレクサンドル・クニャジンスキー АЛЕКСАНДР КНЯЖИНСКИЙ 1936年生れ。1960年、全ソ国立映 画大学撮影科を卒業。初めはスヴェ ルドロフスク映画スタジオやミンス ク映画スタジオで仕事をしていた。 大学で同期の、夭逝した女流監督ラ リーサ・シェピチコの「君とわたし」 (72)以後、モスフィルムで長篇劇映 画の撮影にあたっている。おもな作 品にアレクサンドル・ザルヒ監督の 「都市と歳月」(73)、ニコライ・グ ベンコ監督の「みなし子」(76)ロジ オン・ナハペトフ監督の「敵」(78) などがあり、タルコフスキー監督と のコンピはこれが初めてである。 |
ЭДУАРД АРТЕМЬЕВ 1937年生まれ。かってモスタワ高 等音楽院でユーリー・シャポーリン教 授に師事して作曲を学んでいた頃、 シンセサイザーに興味を持って以来、 電子音楽の世界にのめり込む。1980 年のオリンピック開会式のカンター タはモスクワ電子音楽実験スタジオ で、この人の手で作曲された。 だがアルテミエフを有名にしたの は映画音楽の作曲である。しかも電 子音楽が持つ新しい可能性を初めて 取りあげたのはアンドレイ・タルコ フスキー監督であり、その最初の作 品は『惑星ソラリス』(72)であった。 アンドレイ・ミハルコフ=コンチャ ロフスキー監督の『シベリヤの詩』 (79)、ニキータ・ミハルコフ監督の 『愛の奴隷』(76)、『機械じかけのピ アノのための未完成の戯曲』(77)ほ か、次々と映画音楽を手がけている が、最新作『ストーカー』では、「監 督から何か手の届かない、深遠なも のを表現するために、仏教的イメー ジで作出するように要求された」そ うである。 |
アレタサンドル・カイダノフスキー АЛЕКСАНДР КАЙДАНОВСКИЙ 「かれは純粋に、そしてはっきりと、 陳腐な人生観の片隣など持たずに、 もの事を考える。かれの持前は柔軟 さと知性だが、自らはそうした特性 を嫌い、それらをひけらかすことに なるのを恐れ、もっと激しく、エネ ルギッシユであろうとしている。」と は、初めて一緒に仕事をしたアンド レイ・タルコフスキー監督のカイダ ノフスキー評。 父親の仕事を継ぐために工芸学校 に学んだが、その後ロストフ演劇学 校を経て、ロストフ・ドラマ劇場の 俳優になった。が、まもなくモスク ワに出て、芸術座附属演劇学校に入 り、一ヶ月後にはワフタンゴフ劇場 附属演劇学校に移ってしまったと云 う経歴からも知られるように、芸に 燃やす執念は相当なもの。 これまでに、映画出演作は20本に のぼるが、ニキータ・ミハルコフ監 督の『他人のなかの自分、自分のな かの他人』(74)をはじめ、どちらか と云うと、アクション映画で張りつ めた、ドラマテイックな役を演じて 人気を集めてきた。 |
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