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「ジプシーは空にきえる」(1979年4月1日発行)より転載 |
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(3)『この一瞬』69年製作。史実をもとに編まれた詩的な年代記とも言うべきもので、スペイン共和制のために闘う国際義勇軍のヒロイズムを描いた作品。かつて義勇軍に参加したスペイン人や、ソビエトで生れたかれらの子供たちが出演しており、全ソ映画祭大賞を受賞した。 (4)『モルダヴィヤのバイオリン弾き』72年製作。故郷の遠い昔に思いを馳せ、楽器を巧みにあやつって放浪に明け暮れながら、優れた詩を残したモルダヴィヤの吟遊詩人たちの生活を描いている。モルダヴィヤのさまざまな自然に、夏の陽ざしや冬の雪、秋の枯れ葉や咲きこぼれる春の花にも、故郷にひかれる放浪の詩人たちの心象が投影しているような作品であつた。 (5)『ジプシーは空にきえる』76年製作。 (6)『狩場の悲劇』78年製作。アントン・チェーホフ原作の中篇「狩場の悲劇」の映画化。美しい貴族の庭園を舞台に、愛を求めてやまない人間の内面を描いたドラマ。 モルダヴィヤ映画● ソビエト連邦を構成する15の民族共和国には、それぞれスタジオがあり、各民族語で映画を作っている。そしてそれら民族映画のなかで一番若い映画と言われているのが、モルダヴィヤ映画である。 モルダヴィヤ映画の歴史は、1947年、首都キシニョフに現在の「モルドワフィルム」スタジオの前身、「劇映画・ニュース記録映画撮影所」が創設された時に始まる。劇映画は58年、「わたしの立場にいなければ」が初めて作られ、その後、60年代に入って、全ソ国立映画大学を卒業した若いモルダヴィヤ映画人がこのスタジオで製作するようになって、独自の道を歩み始めた。「モルドワフィルム」はこれまでに、30本を越える劇映画、100本を越える記録映画を製作し、また数百本にのぼる他共和国の映画をモルダヴィヤ語に吹替えている。 モルダヴィヤ映画の若い世代の登場のきっかけを作ったのは、日本にもなじみがある「バレエの詩」 「イワン雷帝」のワジーム・デルベニョフ監督、 「太陽を追う少年」62のミハイル・カリク監督である。デルベニョフ監督が「モルドワフィルム」で製作した「秋の終りの月」65は、老年の情熱、夢、失望をテーマにした叙情的な映画で、カンヌの青少年映画祭ほかで受賞して、モルダヴィヤ映画の代表作となった。 そして60年代に登場した若い映画人のなかでも、作品を発表するたびに注目を集めたのは、詩人でもあるエミーリ・ロチャヌー監督である。ほかに「苦い粒」66を共同監督したワジーム・ルイセンコとシナリオ・ライターでもあるワレーリー・ガジウ、国内戦時代のベッサラビヤの革命家たちを描いた「セルゲイ・ラゾ」67で知られるアレクサンドル・ゴルドン監督、モルダヴィヤの村から戦地におもむいた17才の少女のヒロイズムをテーマにした「マリアンナ」67のワレーリー・パスカル監督、農村を舞台にして人々の生活の変化を描いた「退役将校」71のユーリー・ボレツキー、ヴィタリー・デミン監督らがいる。また、ベテランのポリス・ヴォルチェック監督が「モルドワフィルム」で製作した、一人の青年が犯した殺人の動機や背景を追求する「殺人容疑」71も話題になった作品である。 モルダヴィヤ映画は歩み始めてまだ20年、その多くは自らの郷土を、その過去や現在を、そして現在のモルダヴィヤ共和国の国づくりに励んだ人々の運命を描いている。 |
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