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「火の馬」(1991年4月26日発行)より転載
でなく、覚えやすい風貌をした、とても個性
的で風変わりな彼自身を、見ることができた
のです。
 トビリシの彼の家は、このグルジアの首都
の名所でした。毎夕、さまざまな客たちが―
―外国の著名人や有名な俳優から、彼と服役
の苦労を共にした元囚人に至るまで、彼の家
の食卓を囲みました。この家の主の、決して
減入ることのない陽気な性格、その止まるこ
とのない冗談や作り話の数々が、全ての人を
惹きつけたのです。彼は通りの角のパン屋ま
で行って帰ってくるだけで、面白い話や不思
議な観察をたくさん仕入れてくる人でした。
失業を余儀無くされた何年もの間、彼の生活
は食うや食わずの貧しいものでしたが、それ
は決して色褪せたものではありませんでし
た。輝かしくて独創的な、才能ある仲間たち
がいつもまわりにいたからです。アンドレイ
・タルコフスキーは彼が大好きでした――彼
の作品も、彼自身も。二人はたまにしか会い
ませんでしたが、その対面は嵐のような歓喜
に満ち溢れたものでした。「パラジャーノフ
の魅力はどこにあるか?――タルコフスキー
はこう言っています。――それは彼の、何で
も思った通りにやるひたむきさだ。構想と実
現の間に違いがないのだ。彼は計算や設計を
しないが、それでいて、途中で何も失うこと
なく作品を完成させる。彼は雇い入れること
のできない人間だ。一方、我々は皆、雇われ
ているのだ。」
 残念なことに、パラジャーノフはもうこの
世にいません。彼の予言はあたりませんでし
た。1990年、彼は希望したトビリシではな
く、アルメニアで、重い病のため亡くなりま
した。
 今、エレヴァンでは、彼の記念館開設に向
けて準備が進んでいます。そこには彼がその
生涯の間に、好きで制作した絵画、コラー
ジュ、帽子、人形などが集められています。
その芸術の多面性、卓越した才能、輝かしい
個性ゆえに、私たちの間では彼を「ルネッサ
ンス人間」と呼んでいます。  (映画監督)




*ワシーリー・カタニャン氏は1924年生れ。
記録映画の監督として「サハリン島」、「セル
ゲイ・エイゼンシュテイン」、「マイヤ・プリ
セツカヤ」、「パルチザン、敵の背後の戦い」
などの代表作があるが、パラジャーノフ監督
とは映画大学の同期で同監督が亡くなるまで
深い親交があった。なお、夫人は日本映画の
研究家で、91年度川喜多賞受賞のインナ・ゲ
ンスさん。
 この原稿はパラジャーノフ監督一周忌にあ
たりモスクワのカタニャン氏より特別に寄せ
られたものです。
(3)
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