でなく、覚えやすい風貌をした、とても個性
的で風変わりな彼自身を、見ることができた
のです。
トビリシの彼の家は、このグルジアの首都
の名所でした。毎夕、さまざまな客たちが―
―外国の著名人や有名な俳優から、彼と服役
の苦労を共にした元囚人に至るまで、彼の家
の食卓を囲みました。この家の主の、決して
減入ることのない陽気な性格、その止まるこ
とのない冗談や作り話の数々が、全ての人を
惹きつけたのです。彼は通りの角のパン屋ま
で行って帰ってくるだけで、面白い話や不思
議な観察をたくさん仕入れてくる人でした。
失業を余儀無くされた何年もの間、彼の生活
は食うや食わずの貧しいものでしたが、それ
は決して色褪せたものではありませんでし
た。輝かしくて独創的な、才能ある仲間たち
がいつもまわりにいたからです。アンドレイ
・タルコフスキーは彼が大好きでした――彼
の作品も、彼自身も。二人はたまにしか会い
ませんでしたが、その対面は嵐のような歓喜
に満ち溢れたものでした。「パラジャーノフ
の魅力はどこにあるか?――タルコフスキー
はこう言っています。――それは彼の、何で
も思った通りにやるひたむきさだ。構想と実
現の間に違いがないのだ。彼は計算や設計を
しないが、それでいて、途中で何も失うこと
なく作品を完成させる。彼は雇い入れること
のできない人間だ。一方、我々は皆、雇われ |
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ているのだ。」
残念なことに、パラジャーノフはもうこの
世にいません。彼の予言はあたりませんでし
た。1990年、彼は希望したトビリシではな
く、アルメニアで、重い病のため亡くなりま
した。
今、エレヴァンでは、彼の記念館開設に向
けて準備が進んでいます。そこには彼がその
生涯の間に、好きで制作した絵画、コラー
ジュ、帽子、人形などが集められています。
その芸術の多面性、卓越した才能、輝かしい
個性ゆえに、私たちの間では彼を「ルネッサ
ンス人間」と呼んでいます。 (映画監督)
*ワシーリー・カタニャン氏は1924年生れ。
記録映画の監督として「サハリン島」、「セル
ゲイ・エイゼンシュテイン」、「マイヤ・プリ
セツカヤ」、「パルチザン、敵の背後の戦い」
などの代表作があるが、パラジャーノフ監督
とは映画大学の同期で同監督が亡くなるまで
深い親交があった。なお、夫人は日本映画の
研究家で、91年度川喜多賞受賞のインナ・ゲ
ンスさん。
この原稿はパラジャーノフ監督一周忌にあ
たりモスクワのカタニャン氏より特別に寄せ
られたものです。 |