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「火の馬」(1991年4月26日発行)より転載
――――<かいせつ>――――――
 「火の馬」は、ミハイル・コチュビンスキ
ー生誕100周年記念映画
で、原作は「忘れられ
た祖先の影」。コチュビンスキー(1864-1913)
はチェーホフより4歳年下、ゴーリキーより4
歳年上の作家で、リアリスティックな描写の
なかにロマンチシズムの香りを漂わせた独特
の作風で知られるウクライナの文豪である。
 セルゲイ・パラジャーノフ監督は1924年、
グルジア共和円の首都トビリシ生れ。初め、
トビリシ音楽院で声楽を学んだが、モスクワ
の国立映画大学監督科に進み、ウクライナの
監督故イーゴリ・サフチェンコに師事、同監
督の助手を勤め、51年に卒業後はウクライナ
のスタジオで仕事をしていた。55年、モルドワ
の民話に取材した「アンドリエシ」を共同監督
してデビュー、64年、長編第5作「火の馬」で、
一躍、国際的脚光を浴びた。
 「忘れられた祖先の影」はウクライナのカ
ルパチアに住む、古い伝統を守り、口碑伝説
を語り伝え、動物をシンボルとする祭祀をな
お受け継いでいるといわれる、宗教的で迷信
深いグツール族のイワンコ(イワン・ミコ
ライチュク)とマリチカ(ラリーサ・カード
チニコワ)の“ロミオとジュリエット”風の
悲恋物語である。撮影にあたっては、パラジ
ャーノフ監督以下スタッフは1年半、現地で
住民と生活をともにしながら、その日常風俗
をカメラに捉えている。カルパチアの山並み
にこだまする軟声も、余韻を残す角笛の言も、
賑やかな踊りの輪も、敬虔な祈りもすべて、
村人たちによっている。そして、恋の幻影に
取りつかれて死の苦悩におちこむ主人公の内
面を表現する、稀にみる耽美的で、民俗的映像、
音楽と映像の華麗な競演はそれまでのソビエ
ト映画に見られない独自の映像世界を作りだ
し、この映画は後にウクライナ映画の歴史に
新しい1ページを記すことになった。65年、
マル・デル・プラタ国際映画祭監督賞、最優
秀製作賞、色彩撮影賞、特殊効果賞を受賞、
“その色彩とフォルムは、いまだかって映画で
は実現されなかった美に到達している”(仏)
と絶賛された。国内では、その評価はむしろ
遅れたが、66年、全ソ映画祭で“その芸術的
な追求と革新的な手法に対して”特別審査員
賞を受賞した。
 パラジャーノフ監督はその後、不当な投獄
など芸術家として波乱の生涯を送ることにな
るが、「スラム砦の伝説」(84)、「アシク・
ケリブ」(88)など、他の追随を許さない不朽
の名作を残した。86年のペレストロイカ後は
出国も認められ、パラジャーノフ映画はその
真価をあらためて認められつつあったが、90
年、アルメニア共和国のエレヴァンで死去。
「パラジャーノフの死によって映画界はその
魔術師=魔法使いの一人を失った。パラジャ
ーノフのファンタジーはながく世界の人々を
喜ばせ、魅了することになろう」(モラヴィア、
フェリーニ、グェッラ、アントニオーニ、
マストロヤンニ、ベルトルッチ、ベロッキオ、
ロージー、マシーナらから寄せられた弔電)
と映画人たちはパラジャーノフの死を悼み、
その才能を惜しんだ。
「火の馬」は、そのめくるめく華麗な映像、
大胆な色彩表現で、撮影監督ユーリー・イリ
エンコ
の名も不動にしたが、その後、イリエ
ンコは主演のイワン・ミコライチュクとの共
同脚本で、自ら「山河はるか」(71、モスクワ
国際映画祭グランプリ)を監督したほか、い
まやウクライナ映画の重鎮として活躍してお
り、89年、パラジャーノフのシナリオによる
「白鳥の湖―禁じられたゾーン」を撮った。
 「火の馬」の主演で、やはり国際的人気を
得たイワン・ミコライチュクも脚本家として
はもとより「バビロン20」(80)で監督にもデ
ビュー。将来を嘱望されながら87年、夭折し
ている。
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