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「グリゴーリー・チュフライの世界」(1990年5月25日発行)より転載
14 者のみが高い収入を得られる仕組みになって
いたのです。それも、センセーションや啓蒙
を売り物にした作品ではなく、質のよい芸術
作品によってのみです。
 我々のスタジオは10年間存続して、私ども
が開発したシステムの有効性を実証しました。
にもかかわらず、1976年にスタジオは閉鎖さ
れました。当時のゴスキノ議長F・エルマシ
は、それについてこう言っています。“実験
は成功した。しかし、永久に実験を続けるわ
けには行かない。”これは、健全な、繁栄し
ている組織の意図的な抹殺でした。
 あの10年間に私が作ったのが「記憶」とい
うたった一本の映画だけだったことは、私に
とってはもちろん残念なことですけれど、こ
の期間を無駄にしたなどとは決して思いませ
ん。私はこの間に官僚システムが、いかに多
くの有能で賢い人々を踏みにじり、堕落させ
たかを知っています。スタジオは私にそれを
逃れさせてくれたのです。
――あなたのお答えを要約すると、あなた
は、社会に対して、国民としての義務をは
たすために、時には自分の主義に反する
行いもした、ということですね。――

 自分が国民の義務とみなしていることを実
行できる状況にある時は、私は幸せでした。
それが実行できない状況に置かれたとき、私
は別の、やはり国民としての義務であると思
われることを実行しました。それともあなた
は、社会が目の前で堕落していくのを、私が
手をこまねいて見ているべきだった、とおっ
しゃるのですか?
――社会が堕落していくとは、何と比較して
堕落するのですか?――

 フルシチョフ時代と比較してです。ブレジ
ネフ時代に恐ろしい破壊が起こったのです:
社会が急速に荒廃していつたのです。スター
リン時代には、まだなにがしかの秩序があり
ました。
――まともな人間が惨めな思いをし、指導
部の悪党どもだけがいい思いをする秩序に
どれほどの価値があるとおっしゃるのです
か?――

 秩序というものは、それ自体には何の価値
もありません。秩序は死の収容所にも、結婚
宮殿にも存在します。スターリンの秩序は血
の秩序でしたが、あることはあったのです。
ブレジネフ時代には、スターリン主義に打ち
のめされた国は急速に崩壊していつたのです。
――「女狙撃兵マリュートカ」の予言が的中
した、ということですか?あの映画で、自軍
士官ゴヴォルーハ・オトロフがマリュートカ
に言いますね。“あなたがたが土地を完全に
支配するようになったら、大変なことにな
る!”と。そう言われたのでマリュートカは
士官を撃つたのではなかったですか?――

 あの映画では、私たちは大きな悲劇として
の国内戦を描いたのです。民族はいくつにも
分断され、血が流されました。そのことを冗
談にするつもりはありません。あの映画で、
●「おじいさんとおばあさんが
住んでいました」(3点とも)
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