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「グリゴーリー・チュフライの世界」(1990年5月25日発行)より転載 |
白軍兵を、それまで描かれてきたような怠け |
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そんなことを問い質す権利が若い人たちにあ るのなら、私も同じ権利をもって若い人たち に問い質したい。あなたがたはブレジネフの 停滞時代にどんな対策を講じたか、と。あな たがたは口も開かなかったじゃないか、と。 70年たってから賢くなることなど、大した手 柄ではありませんよ。 ――多くの人々には、但し、一般のボリシェ ビキではなく、指導部の人々ですが、あの 時すでにわかっていたのです。フランス革命 の経験もありましたしね。しかし、党内の大 多数の人たちは、どうしても人の骨を踏みつ けながら進みたかつたのです。それが、他 人の骨を踏んでいるうちはよかつたのです が、自分たちの骨を踏むことになろうとは、 予想だにしていなかったのです。―― 私が言いたかつたのも、正にそのことなん です。今私たちに明らかなことも、あの人た ちには予見できなかったのです。私には彼ら を非難することはできません。偏見の克服は 天才のみに許される偉業です。レーニンの ネップ政策導入は、この偉業に当たります。 ――頭を斧でぴしゃりと打っておいて、“失 敬、間違えたんだよ”と言う…… あなたは私を不毛な議論に引き込もうとし ていらっしゃる。まともな人で、スターリン の弾圧を思って身震いしない人はいません。 これを、レーニン派のボリシェビキのせいか、 スターリン派のボリシェビキのせいか、議論 することもできましょう。私は犯人捜しをす るつもりはありません。何のためにそんなこ とをする必要があるのです?制裁するためで すか?復讐するためですか?そうすれば、血 が流されるでしょう。犯人の血とともに、多 くの罪のない人々の血が流されるのが、世の 常です。新たな迫害者と卑怯者が生み出され ます。それで、どうなるというのです?それ よりも、あの悪夢が二度と繰り返されないよ うにした方がいいのではありませんか?それ が犠牲となられた方々への最善の供養となる、 と私は考えます。それとも、ドストエフス キーが勧めたようにしたらどうでしょう?懺 悔するのです! 懺悔とは、謝罪でもなく、利点と欠点を並 べた一般的な報告でもありません。懺悔とは、 弁明がなされたり、証拠をつきつけられて自 白を強要されたりする裁判とも違います。懺 悔とは、生きている者が、生きていくために しなければならない偉大な浄化行為です。そ して、私たちは懺悔しなければなりません。 神の前では無理にする必要はありませんが、 人々の前では必ずしなければなりません。ド ストエフスキーが勧めたように。自尊心を棄 て、つつしみと悲しみをもって、言いわけを 探すことなく、他人のせいにすることなく、 四つ辻へ出て懺悔するのです。 ――あなたはプレジネフ時代、わが国のこと が外国に対して恥ずかしかつた、と言ってお られますね。実はフツィエフ監督も私にそう おっしゃいました。これは、あなたがたの世 |
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