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「グリゴーリー・チュフライの世界」(1990年5月25日発行)より転載

白軍兵を、それまで描かれてきたような怠け
者や、暴漢や、ならず者としてではなく、愛
するに値する美しい人間として描くことがで
きたことは、私にとって大切なことでした。
「女狙撃兵マリュートカ」があと二年早くで
きていたら、私はひどい目に会っていたこと
でしょう。私たちがカラクム砂漠であの映画
を撮っていた時、第20回党大会が開かれたの
です。原作者のラブレニョフと同じく、私た
ちもあの映画で時代の悲劇的本質を明らかに
したかったのです。官製の美学の伝統を破っ
て、我々は誰も悪者にしなかったのです。白
軍兵も、マリュートカも、その仲間の人たち
も。今でも、あの当時のことを考えれば、新
しい、公正な社会が実現することを夢見て死
におもむいた人々に、石をぶつける権利は私
にはないと思っています。ちなみに、スター
リン時代には、国民は、そういう社会を築い
ていると、まだ信じていて、そのためにはど
んな犠牲もはらう覚悟でいたのです。少なく
とも、民族間の不和とか慢心はありませんで
した。
――民族紛争のきつかけを作ったのは、他
ならぬスターリンだったじゃありませんか。
彼こそは、ある民族全体を人民の敵よばわ
りしたり、絶減させようとしたり、強制移住さ
せたりしたんじゃありませんか?
――
 私が言っているのは正にそのことです。国
民を暴君と同一視してはいけないのと同様に、
迫害者と犠牲者を一緒にしてはなりません。
スターリンが蒔いたおそろしい種は、ブレジ
ネフの時代に華やかに開花したのです。ブレ
ジネフは国家機関のまわし者であり、支えで
あり、擁護者でした。フルシチョフの改革が
国家機関の安泰を脅かし始めるや、機関は彼
に猛反撃を加えて、誰が国の真の支配者であ
るかを示しました。スターリンがわが国の歴
史の悲劇だとするならば、ブレジネフはいま
わしい茶番でした。あんな指導者を戴くこと
は、全世界に対して恥ずかしいことでした。
 しかし人生は棒ではありませんから、今更
まっすぐさせる必要もありません。私の過去
を振り返ったとき、密告者や迫害者と共に私
に見えるのは無数のちゃんとした、誠実な
人々です。その人たちの悲劇的な罪は、はて
しなく信じたことにあるのです。戦争中、私
は空軍にいて、敵の後方ヘパラシュートでよ
く降下したものです。その時、多くの人々が
命懸けで協力してくれました。どうして彼ら
のことを忘れたり裏切ったりできましょう?
そして戦後、映画大学で学んだとき、ロンム、
ユトケービチ、ドブジェンコ、ドンスコイと
いった諸先輩から、どんなに沢出の私心のな
い援助を受けたことでしよう。この人たちは
私の運命に多大な影響を与えました。全てに
無頓着な若い人々が、あの世代の先輩たちを、
スターリン時代に生きて“何の対策も講じな
かった”として、口汚く罵っています。あの
人たちは魂を失わないために、懸命に対策を
講じていました。すでに亡くなった人々に、

そんなことを問い質す権利が若い人たちにあ
るのなら、私も同じ権利をもって若い人たち
に問い質したい。あなたがたはブレジネフの
停滞時代にどんな対策を講じたか、と。あな
たがたは口も開かなかったじゃないか、と。
70年たってから賢くなることなど、大した手
柄ではありませんよ。
――多くの人々には、但し、一般のボリシェ
ビキではなく、指導部の人々ですが、あの
時すでにわかっていたのです。フランス革命
の経験もありましたしね。しかし、党内の大
多数の人たちは、どうしても人の骨を踏みつ
けながら進みたかつたのです。それが、他
人の骨を踏んでいるうちはよかつたのです
が、自分たちの骨を踏むことになろうとは、
予想だにしていなかったのです。
――
 私が言いたかつたのも、正にそのことなん
です。今私たちに明らかなことも、あの人た
ちには予見できなかったのです。私には彼ら
を非難することはできません。偏見の克服は
天才のみに許される偉業です。レーニンの
ネップ政策導入は、この偉業に当たります。
――頭を斧でぴしゃりと打っておいて、“失
敬、間違えたんだよ”と言う
……
 あなたは私を不毛な議論に引き込もうとし
ていらっしゃる。まともな人で、スターリン
の弾圧を思って身震いしない人はいません。
これを、レーニン派のボリシェビキのせいか、
スターリン派のボリシェビキのせいか、議論
することもできましょう。私は犯人捜しをす
るつもりはありません。何のためにそんなこ
とをする必要があるのです?制裁するためで
すか?復讐するためですか?そうすれば、血
が流されるでしょう。犯人の血とともに、多
くの罪のない人々の血が流されるのが、世の
常です。新たな迫害者と卑怯者が生み出され
ます。それで、どうなるというのです?それ
よりも、あの悪夢が二度と繰り返されないよ
うにした方がいいのではありませんか?それ
が犠牲となられた方々への最善の供養となる、
と私は考えます。それとも、ドストエフス
キーが勧めたようにしたらどうでしょう?懺
悔するのです!
 懺悔とは、謝罪でもなく、利点と欠点を並
べた一般的な報告でもありません。懺悔とは、
弁明がなされたり、証拠をつきつけられて自
白を強要されたりする裁判とも違います。懺
悔とは、生きている者が、生きていくために
しなければならない偉大な浄化行為です。そ
して、私たちは懺悔しなければなりません。
神の前では無理にする必要はありませんが、
人々の前では必ずしなければなりません。ド
ストエフスキーが勧めたように。自尊心を棄
て、つつしみと悲しみをもって、言いわけを
探すことなく、他人のせいにすることなく、
四つ辻へ出て懺悔するのです。
――あなたはプレジネフ時代、わが国のこと
が外国に対して恥ずかしかつた、と言ってお
られますね。実はフツィエフ監督も私にそう
おっしゃいました。これは、あなたがたの世
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