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「グリゴーリー・チュフライの世界」(1990年5月25日発行)より転載
この作品は自身で道を切り拓いていったので
す。この映画が有名になったのはカンヌで受
賞してからだ、と誤解している人がいますが、
そうではありません。最初にこの作品を評価
しためはソビエトの人々です。各地から送ら
れてきたアンケートにより、その年最も需要
が高かったのがこの映画だということがわ
かったのです。そこで、これを国際映画祭に
送ることになったのです。
 国民は、この軍服に身をつつんだアリョー
シャを、帰省の途中で出会った人々にも惜し
みなく愛とやさしさを与えたこの青年を、心
から愛しました。この青年はまた、世界中の
スクリーンを駆け巡り、人々に感動を与えた
のです。
 この映画を作るにあたって、私どもは色々
な危険を冒しました。その一つが、主役の二
人に新人を起用したことです。ジャンナ・プ
ロホレンコはモスクワ芸術座付属演劇学校の
一年生、ウラジーミル・イワショフは国立映
画大学の二年生でした。仕事は困難を極めま
したが、やりがいがありました。二人にとっ
てもそうだったはずです。この起用は間違っ
ていませんでした。二人は、初々しさと若さ
の魅力という、大切な特徴をこの映画に与え
たのです。撮影を担当したV.ニコラーエフ
とE.サベーリエワの貢献も見逃せません。
この映画に携わった人たちは皆、懐かしさを
もってあの作業を回顧することと思います。
 1960年のカンヌ映画祭。正装した観客がか
じこまった様子で席に着きます。私は恐ろし
くなりました。この人たちは我々の映画を理
解してくれないだろう。この紳士淑女たちに
とって、息子が戦場から戻らなかったロシア
の母の嘆きなど、何の関わりがあろう。戦争
のために人生を絶たれた人々も、明日戦場に
赴く兵士を愛した娘も、なんの関わりがあろ
う。
 しかし、私は間違っていました。そして、
間違っていたことを幸せに思います。観客は
映画を理解し、評価してくれました。あの忘
れられない第13回カンヌ映画祭で、青少年向
き映画部門のグランプリと、高いヒユーマ二
ズムと優れた芸術性に対する賞が、この映画
に授けられたのです。
 サンフランシスコでの「映画祭の映画祭」
も忘れられません。受賞作の栄誉を讃えて国
歌が演秦されることになっていたのですが、
オーケストラがソビエトの国歌を知らなかっ
たのです。最も厳粛な瞬問、彼らは「黒い
瞳」を演奏しはじめました。可笑しかったけ
ど、嬉しいできごとでした。
 以来四半世紀以上を経た今も、この作品は
上映され続けています。私は今だに、この映
画についての手紙をもらうことがあります。
このことは、我々が全霊を注いで作り上げた
映画が、今もって人々を感動させていること
をもの話っています。
("スクリーン"1984年No.23より転載)
●「イワショフとプロホレンコ」
23
「グリゴーリー・チュフライの世界」パンフレット(1990年発行)より転載 <- 前へ 次へ ->
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