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「グリゴーリー・チュフライの世界」(1990年5月25日発行)より転載 |
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■グリゴーリー・チユフライ監督プロフイール グリゴーリー・チュフライ監督は1921年、 ウクライナ生まれだが、小学生時代に母親と ともにモスクフに移り住んでいる。1939年( 全ソ国立映画大学監督科を受験するはずだっ たが、召集を受けて断念、赤軍に従軍し、対 フィンランド戦争と第二次大戦のスターリン グラード攻防戦に参加し、この間、5回負傷 し、九死に一生を得て帰還している。その時、 海軍少尉であった。 復員後、46年、国立映画大学監督科に入学 し、セルゲイ・ユトケーヴィチ、ミハイル・ ロンムの両監督に師事、53年に卒業する。35 歳で、ボリス・ラブレニョフ原作の映画化、 白軍の将校と恋に陥った赤軍の女兵士を描い た「女狙撃マリュートカ」を完成、57年カン ヌ国際映画祭で“独創的シナリオならびに ヒューマニズムと高いロマンチシズムに対 し”特別賞を受賞、デビューを飾っている。 当時は戦後ソビエト映画の最初の高揚期で、 チンギス・アブラーゼ(「青い目のロバ」55、 「懺悔」86他)、レゾ・チヘイーゼ(「青い目 のロバ」55、「戦火を越えて」65他)、マルレ ン・フツィエフ(「ザレーチナヤ街の春」56、 「私は20才」65他)、エリダル・リャザーノフ (「すべてを5分で」56、「ふたりの駅」83 他)、レフ・クリジャーノフ(「その窓の灯は 消えない」57、「罪と罰」70他)、アレクセイ ・アーロフとウラジーミル・ナウーモフ (「心いさわぐ青春」55、「生まれ来る者に平和 を」61他)らの監督が輩出した頃で、ヒュー マニズムの勝利が謳われた時代でもあった。 そして、あらゆる時代、時の流れに翻弄され ながらも、常に輝きを失わずにあり続ける愛 の姿が、この時から、監督の全作品を貫く テーマとなっている。 59年、監督がかってスターリングラードの 戦場で構想を得たという19才の少年兵の淡い 青春を描く「誓いの体暇」を撮り、カンヌ他 海 外の多数の国際映画祭で受賞、国内でも主人 公に表現された若いソビエト兵士の資質こそ 新しいモラルと高い評価を受け、チュフライ 監督の名は内外に知れ渡った。61年には、独 軍の捕虜となったもとソビエト兵士を暖かい 共感のなかで描いたセルゲイ・ボングルチュ ク監督の「人間の運命」(59)のテーマをさ らに深めたと言われる「晴れた空」を完成、 スターリン体制下、故郷に生還したもと捕虜 の兵士を襲った政治的・社会的差別を暴くと 同時に、ここでもそうした試練にさらされた 高遇で純粋な愛を描いて、モスクフ国際映画 祭グランプリ他を受賞するが、人間としての 社会的モラルにかかわるテーマを追究した 「おじいさんとおばあさんが住んでいまし た」以降は、この監督もまた、いわゆる映画 官僚との軋轢に悩まされ、それがその後の創 作活動に影を落とすことになる(この経過に ついてはチュフライ監督のインタピュ‐に詳 しい)。 |
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