無垢な視覚 ミハイル・ロンム "エクラン1964"(モスクワイスクーストヴォ刊1965)より抄訳 わたしがゲルマン・ラヴロフ(*1929年生まれ。国立映画大学出身の撮影監督。ロンム監督とは「一年の九日」の他、「野獣たちのバラード」66でコンビを組んだ。代表作に「七月の雨」67、「わたしを明るいかなたに呼んで下さい」78がある他、監督作品もある)を知ったのは偶然だった。かって「東への十歩」という映画を見る機会があった。わたしの意見では、この映画は脚本とプロットが、監督やカメラマンの独創性に較べ、はるかに不出来だった。プリミティヴなエピソードが非常に複雑に仕上げられていた。これは成功していなかったが、わたしは若いカメラマンの大胆さが気に入った。「一年の九日」に取りかかるにあたって、カメラマンを誰にするか議論になった時、わたしは「東への十歩」を撮ったゲルマン・ラヴロフを思い出した。 わたしは彼の、自分の仕事に対する態度に魅了されたのだ。彼は仕事を買いかぶったりしなかった。彼は非常に的確になぜ、その様に撮影するのかを説明したが、それがまた簡潔で、文字どおり数語で表現した。わたしは彼が気に入り、迷うことなく直ぐ、この困難で複雑な仕事を一緒にすることに決めた。彼が撮った最初のサンプルは大した出来ではなかったし、撮影スタッフもわたしのす早い決定に少し驚いてはいたが、わたしは第一印象に忠実だった。監督にもカメラマンにも、あらゆる才能のなかで何はさておき重要なのは知性であり、明瞭な目的意識であるとわたしは深く確信している。ゲルマン・ラヴロフの独創力は「東への十歩」が、また彼の知性は、我々が取り交わした短い会話が証明していた。 「一年の九日」はわたしにとって大変むずかしい実験だった。これまで慣れ親しんできた多くの手法や方法を絶ち、全面的に何か新しいものを発見しようとしたのである。わたしを既に検討ずみの手法に後戻りさせたりしない、そしていかなるショットも瑞々しい眼で見、新しくて簡単な解決を見出し得るようなカメラマンが必要だった。しかも同時に、完全に監督の目論見や複雑なドラマトゥルギーやひと筋なわではいかぬ俳優たちに自分を従わせながらもなお、表現力と鋭敏さを失わないようなカメラマンである。 ゲルマン・ラヴロフは素晴らしい名人芸と大いなる勇気を発揮した。だが最も肝心なのは、彼が我々の映画の本質を深く見抜く技量があったことだ。幾つかの彼の発見は才気縦横であるばかりでなく、驚くほど正確だったと、わたしは考える。例えば、彼は我々が撮影していたパビリオンの隣に巨大な平面の壁を見つけてきて、黒い洋服姿のグーセフと白い壁の他は何も映らない設定でグーセフの通行シーンを撮ることを提案した。このショットこそカメラマンの的確な着想とそれを難なく実現させる典型と、わたしは思う。グーセフの父親のシーンのアイディアもラヴロフによるものだ。松の板を接合した長い机のはずれの方に白いシャツを着た父親が腰かけているショットである。我々はこれらのシーンを仕事の冒頭で撮っている。つまりラヴロフは、映画全体の思想のクライマックスにぴったりの表現をこれらのショットで見つけたように思われる。 深夜の飛行場にリョーリャがクリコフを見送るエピソードをラヴロフは驚くほど大胆に撮影した。このシーンは、4組のアーク燈があるだけのシェレメチェボ空港で撮影したのだが、映画のショットに映っているのは飛行機、主人公たち、飛行場の情景等々である。 構成の簡潔さ、正確さ、そして光と影の思い切った活用はわたしにとって本当の発見だった。ラヴロフは総じて、ふつうカメラマンが光を使うのと同じくらいたっぷり影を使っている。若い名人の最も優れた特質の一つは、彼が何事にもひたすら創造的に接し、いかなる伝統であろうと破ることを恐れなかった点にある。 かつて科学アカデミー正会員I・タム(*理論物理学者)が教え子サハロフ(*A・サハロフ核物理学者)についてこう語ったことがある。"彼は優れた特質を持っている。彼はあらゆる現象に対し、たとえそれが20回検討され、その本質が20回立証されていようと、新しいやり方でアプローチする。サハロフはあらゆる事を白紙を眼の前にしているかのように検討して、その結果、驚くべき発見を行っている"。一般的に言って、これはあらゆる分野の優れた才能の特質なのだ。わたしにはラヴロフはそうした才能を十分に持っていると思われる。ただこの無垢な視覚を活用し、確かな針路を与えさえずれば良い。それは監督の課題なのである。 ラヴロフは並はずれて忍耐強く、粘り強かった。彼は必要とあらば、信じられないようなポーズを取って、一時間か、あるいはそれ以上、横たわったままにしていられた。我々は、グーセフの父親が子供の手を引いて、線路に立ち続けているシーンを撮った時、ラヴロフが物理的にファインダーをのぞけないほど低くカメラを設置する必要があった。ラヴロフのために斧で削るようにして穴を掘った。寒い日だった。強い風も吹いていた。ラヴロフは、枕木で頭を支え、全身よじるようにして横たわっていた。二本のレールの間にちぢこまったこの姿こそ、本当の映画人とは何かと言うことの、明白な、物理的に実感できるシンボルのようにわたしは記憶している。 わが国の若いカメラマンのなかにラヴロフは初期の作品で確固とした地位を築くことになった。わたしは、彼は新しい潮流そのものであり、大きな素晴らしい未来がひかえていると思う。
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