その1
1980年の春。私は当時恒例となっていた"モスクワ国際見本市<消費物資展>"に参加していた。同見本市には我社を出品窓口として、家電メーカーの数社が参加していた。主なメーカーは、日立、パイオニア、トリオ(現ケンウッド)、山水、ラックス、服部時計店(現セイコー)等で、もちろん、各メーカーの担当者も出展作業に加わっていた。
見本市会場はモスクワの北東部に位置するソコリニキ公園内にある常設のパビリオンだった。
明日から見本市がスタートという前日のこと。我々はとにかくその日のうちに全ての出品物を展示し終わらなくてはならいし、各家電製品の動作チェックもやらなくてはならなかった。我社スタッフとメーカー担当者は(総勢12〜13名)汗水流して頑張った末、何とか終了したのが夜の10時を回っていた。その帰りの出来事だった。
その日は昼から雨で、展示品の開梱時に出たビニールシートをてんでに頭上に広げ公園入り口まで歩いた。そこには、その日最終の路線バスが止まっていた。そこで運転手と宿舎のウクライナ・ホテルまでの白タク交渉が始まった。初めの内は運転手はまだ仕事中であることもあり、直ぐには引き受けてくれなかった。この時間帯ともなると、会場が市街地からかなり離れていることもあり、自動車もほとんど走っていない。運転手は10名を超える人数が雨の中に突っ立ている我々を見るに見かねてか「最後の仕事が残っているので遠回りになるけどそれでもいいか?」ときた。もちろん、OKを出す。
発車時間になるとバスは我々を乗せ次々とバス停を止まっては進んで行く。やがて最後のバス停を過ぎると運転手は、「本日の仕事終了!」と一声。近くの営業所へ一日の日報を提出し我々が待っているバスへと戻ってきた。それから20ルーブルで、全員、ウクライナ・ホテルまで届けてもらった。 |