1997年7月ロシアTV局の発注でムムーの製作に着手。
 1998年4月22日ユーリー・グルィモフ監督はパリにおいてムムーに対し「映画、テレビ、演劇の名手」賞を授与された。(前年は「フィフスエレメント」を監督したリュック・ベッソンが受賞)同時に受賞したのはクロード・ルルーシュで彼はフランス映画に対する貢献を評価された。
 ムムーに出演した少年アンドレイ・ハリモン(ロシア・チェコ・ハリウッドの合作「コーリャ」に主演)は撮影現場に来た時グルィモフに「僕の専用のバスはどこ」と尋ねたものだ。
 今のロシアでは俳優に専用のトレーラを与えることなど残念ながらあり得ない。しかしそうだからといってハリモン君は出演契約を破棄したりはしなかった。彼は自分の母国語で演ずることが気に入ったからだ。
 ハリウッドの規模からするとムムーの製作費は全く雀の涙といったたぐいである。その映画の製作日数は極めて少ない。これはソ連やロシアの映画製作史上きわめて稀なことだ。グルィモフはこの映画で大勝利を収める決心を固めている。グルィモフは非公式にではあるがロシアのコマーシャルフィルムの王と言われている。その彼が今回初めて長編劇映画に取組んだのであるが彼の置かれている環境は厳しい。
 ロシアでは巨匠と呼ばれてきた人々が製作資金を集められぬが故に長年にわたって映画を作れないでいる。一方ロシアの映画大学の脚本科や監督科を卒業し卒業製作が各国のフェスティバルで賞を得た才能ある若き人々も同じ様な状況下にある。ロシアでは(例えばチェコの様に)ヨーロッパ各国の映画支援プログラムを利用する術を習得しているのだ。因みにムムーは100%ロシアの資本で製作されている。本映画のプロデューサー、キリール・レガートはTV局と共同しての映画製作に興味を持っており、この点でグルィモフと意見が一致したのだ。
 そんな訳で劇映画監督としては素人のグルィモフのデビューを見つめる人々の目は温かいものばかりではなく、キラキラした見ごたえのあるある意味ではショックを与える様な映画を作らざるを得ない。彼には選択の余地は無いと言える。
 グルィモフは「この映画ではツルゲーネフの原作を全く独自に解釈している」と語った。彼によれば無理矢理結婚させられるターニャと溺死させられるムムーのシーンは合わせてわずか20分しかない。(本編の長さは1時間40分である。グルィモフは結果をハッピーエンドと悲劇的なものとそしてもうひとつは今のところ秘密にしている三つ用意していると述べている。)
 本映画は聾唖者のゲラーシムに自分のおだやかならぬ過去の人物を物語る「奥様」の回想談を軸としている。そういう訳だからこの映画が完成した時に古典作品を台無しにしたと言う理由でこてんぱんに攻撃されるであろうと今から楽しみにしている手合いは肩透かしを食らう事になる。この映画はツルゲーネフのものではなくグルィモフのものだから。
 グルィモフは更に語る「この映画では全て本物を使う。音は全て同録である」。録音監督のエゴーロフはモスフィルムの最優秀技師の一人である。「人は声を出す。だから映画の中では森も、庭も、牛達も、蝶達も草も水も皆固有の音を出す。」
 ロケはドルゴルーキ公爵の所有地の建物を利用して行われた。但しセットは作り出さなくてはならなかった。「奥様の住む世界と農奴達の住む世界は隣合って存在するが両者は全く異なったものだ」「私としては農奴達の世界の方がより詩的であり人間的であることを示したいのだ」。以上の様に語るグルィモフは現代社会の成功者とみなされているにも拘わらずソ連時代の映画の良き伝統の影響を受けているといえるであろう。
 ムムーはその興行を成功させる為のキャンペーンがプロたちにより組織されることになったロシアでは初めての映画である。以前は映画の前景気をあおる為には記者達を撮影現場に近づけず又スタッフ・キャストがインタビューに一切応じないというのが唯一の手段とされていた。こうした秘密主義により好奇心を高め様としたのだった。
 撮影が始まる前にキャンペーンが打たれたのはこの映画が初めてである。ロシアのTV局(第二チャンネル)は毎週土曜日のプライムタイムにムムー関係のニュースを流し続けた。普通のロシア映画だったらこれだけで製作費を食われてしまったであろう。もし本映画のキャンペーンが成功したらプロデューサーと監督は将来そのノウハウでひと儲けできるかもしれない。
 キャンペーンの結果はどうなるにせよ、この映画を契機としてロシアにおいても映画が生き残る為にTVの力を借りるという世界の流れに乗る何らかの動きが出ることは間違いない。
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