監督 グルィモフ・ユーリー・ビチェスラーボヴィチ

 31歳。
 自動車工場のデザイナーから出発する。1988年よりロシアのオートクチュールのアトリエや外国企業でコマーシャルの監督や脚本を担当。1993年にはロシアの広告会社「プリミエール・エスベー」の宣伝実務担当部長となる。
 これまでに200本以上のコマーシャルフィルムの監督をし、そのうち50本がロシアや諸外国で賞を得た。最も名の知れた賞はエピカ(パリ/1993年)、モントレー(スイス/1994、95、96各金賞)、ミッドサマー(ロンドン/1995銀賞、1996銅賞)。
 モスクワの国際コマーシャルフィルムフェスティバルでは合計15の賞を獲得。そのなかには観客賞も含まれる。その他1995年カンヌのフェスティバルでは最終審査に残った12本の中の一本にも選ばれた。
 グルィモフはロシアで初めて作られた社会問題のキャンペーン映画の監督をした。それはエイズを防ぐ為のキャンペーン映画で国連の賞を得た。
 彼はエリツィン氏の大統領選挙時のキャンペーン映画の脚本と監督を担当した。その結果ロシアに民主制を樹立するに貢献したとして大統領より賞を与えられた。
 グルィモフは自分の経験を生かすべく1996年にロシアで最初のコマーシャルフィルムやキャンペーンフィルムの製作を教える工房を開設し、選抜された若い才能ある人々に勉強する機会を与えている。
 また、グルィモフは写真家でもある。1995年にはスーパーモデルのクラウディア・ショーファーを撮った自作の展示会をモスクワで行った。1998年にはモスクワの写真家達と共に「20世紀末・ユニセックスへの抗議」と題する写真展を開いた。
 更に彼はロシアのTV局の番組の合間にオンエアーされる一連のフィラーも製作した。
 この様にグルィモフの活動は多方面に渡っているが彼自身は劇映画の監督を自分の天職と考えている。彼の最初の作品は短編で「男の告白」(1996年作)というものでこの作品はロシアやフランス、スペインで評判となった。

 ムムーの脚本を書き監督をする。彼はかつてこう語った。「一度映画を撮ったことのある人間はそのとりことなる。映画づくりの持つ魔力は麻薬のそれに匹敵する。或いは山登りの魅力にたとえてもよい。最初に受けた刺激を忘れられず慢性的にその刺激を求めるようになるのだ。これは全映画人に共通したものであろう。」

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