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現代に生きるチェーホフ

■チェーホフ 時代と作品

 チェーホフは世紀末の"灰色"の時代の「たそがれの歌い手」「絶望の詩人」と呼ばれてきた。チェーホフの生きた時代はロシアの歴史にもまれにみる、空虚と無理想の一時期だったと言われている。
 1850年代、「鉄の専制者」といわれたニコライ1世治下の農奴制はロシアの農民の上にきわめて邪悪なものを作り出していた。農奴たちの悲惨な生活は言語を絶していた。 1850年頃からは反抗的な農奴の蜂起が激しくなりはじめていた。農奴制の廃止は当時のあらゆる思想家の注意を独占した問題であった。チェーホフの家系も祖父は農奴の出であった。
 チェーホフ生誕の翌年、1861年にアレクサンドルニ世による「農奴解放」が実現されたが、この上からの解放は農民の生活を楽にするどころか、逆に苦悩を増加させた。あざむかれた農民の怒りは60年代末の数多くの蜂起となって現れた。このような情勢に関連して70年代には進歩的知識人によるナロードニキ運動が展開され、知識人たちは「人民のなかへ」入りこんで農村工作を行った。しかし知識人たちが革命の主体と考えた農民は彼らについて来なかった。農民がたのむにたらぬ以上、専制を打倒する道はテロしかないと考えたナロードニキの分派「人民の意志」党は、遂に1881年2月「農奴解放」の実行者であったアレクサンドル2世を暗殺した。テロリズムにより皇帝政治を倒そうとしたのだが、ところがこれは農民に真の解放をもたらすどころか逆に帝制政府当局に革命運動弾圧のまたとない口実をあたえ、革倫家たちは根こそぎ検挙され、さしも盛んであった革命運動は完全な壊滅状態となった。
 トルストイが新皇帝アレクサンドル3世に書を送り、暴に報いるに暴をもってすることのあやまりをただしたのはこの時である。こうして80年代から90年代は反動の勝利の時代であり、ロシア生活のたそがれの時代であった。かって人民の解放を夢みた人々も、革命への信念と情熱を失い、政治的斗争に無関心となって無気力な毎日を送るようになっていった。人々はいまわしい現実をきびしく追求する勇気を失い、現実に安易に妥協し、社会悪にたいしても傍観者的な態度をとっていた。無抵抗主義が一世を風燦したのもこの時代であった。
 このような社会に生活する人間関係がどのような様相を呈するか、チェーホフの初期の短篇「小役人の死」(1883)「カメレオン」(1884)「接吻」
(1887)などの作品のなかに見事に描かれている。その後の「箱に入った男」(1898)「すぐり」(1898)「恋について」(1898)は、人間及び社会の不合理に対する怒りであった。
 「犬をつれた奥さん」(1899)「いいなずけ」(1903)「桜の園」(1904)などの晩年の作品は、世紀末の限りなく陀びしい灰色のやりきれない社会的沈滞にたいする若い生命の抗議を示している。
 困難な時代と呼ばれた、帝政ロシア末期の現実をくもりなき批判的リアリズム作家の目で描いたチェーホフの作品は世界文学の中でも異彩をはなっている。
死の3ヵ月前のチェーホフと愛犬カシタン(左)とトゥージク(右) 1904年4月ヤルタ
服部美術館特別展[チェーホフ歿後100年レトロスペクティヴ]を描く
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