●ワーニャ伯父さん
インノケンティ・スモクトゥノフスキー
(1925/3/28〜1994/8/25)
「ハムレット」(1964)「チャイコフスキー」(1970)「罪と罰」(1970)などでスモクトゥノフスキーの名優ぶりは日本のファンにもなじみ深いが、2度の来日を通じてその温厚な表情に秘めた芸への深い情熱の片鱗も広く知られることになった。
シベリア生れで、大学では医学を専攻したが、俳優の道に転向した。1958年、レニングラードのボリショイ・ドラマ劇場の「白痴」の舞台で演じたムイシキン公爵は演劇史上に残る名舞台と言われている。 一方、G・コージンツェフ監督の「ハムレット」(1964)に主演して、映画界でも国際的なスターとなった。
「ワーニャ伯父さん」はスモクトゥノフスキーにとって初めてのチェーホフの作品だが、コンチャロフスキー監督にこの戯曲の映画化を強く勧めたのがほかならぬ彼であった。
ほかに、 「送られなかった手紙」(1959)「一年の九日」(1961)「モーツアルトとサリエリ」(1962)「チャイコフスキー」(1970)「黒い瞳」(1987)など出演作品は多い。 1964年にハムレット役でレーニン賞を受賞し、1974年にはソ連邦人民芸術家の称号を与えられている。
●ソーニャ
イリーナ・クプチェンコ
(1948/3/1〜)
クプチェンコはシチューキン演劇学校を卒業、1970年からワフタンゴフ劇場の俳優となった。在学中に「ワーニャ伯父さん」と同じアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督の「貴族の巣」(1969)で“ツルゲーネフのヒロイン”と言われるリーザを演じて映画界にデビューした。
静かで控えめな暖い愛と忍耐の人生を誠実に力強く生きようとするチェーホフのソーニャの魂もロシア文学の深い伝統に脈うつ典型的なヒロインであり、クプチェンコはこの二つの役を見事に演じて、文字どおりソビエト映画界の新星となった。
●アーストロフ
セルゲイ・ボンダルチュク
(1920/9/25〜1994/10/20)
ボンダルチュクはトルストイの長篇「戦争と平和」(1965〜67)の映画化で主演・監督・脚本の3役をはたして、8時間におよぶ大作を作りあげ、米アカデミー賞外国映画賞を獲得しレーニン賞を受賞している。
ウクライナの生れで、演劇大学在学中に従軍、復員後、モスクワの国立映画大学俳優科を卒業した。卒業制作でS・ゲラーシモフ監督の「若き親衛隊」(1948)に出演して映画界にデビュー。「タラス・シェフチェンコ」(1951)で俳優としての実力を知らしめ、「オセロ」(1955)に主演して国際的名声を得た。「人間の運命」(1959)では主演・監督を務めてモスクワ映画祭グランプリを受賞。また、イタリア映画「ローマで夜だった」(1960)、ユーゴスラヴィア映画「ネレトバの戦い」(1969)に俳優として出演し、イタリア映画「ワーテルロー」(1970)を監督するなど国際的にも活躍した映画人である。 |