ロシア映画社>特別企画>サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>文学に描かれたサンクト・ペテルブルグ

 ふたりは、債権者から逃れるためにジュネーブやフィレンツェなどで数年間を過ごすことになり、ドストエフスキーは肉体的な困難や貧困にみまわれます。しかしこの間は、彼にとって「罪と罰」(1866)、「白痴」(1868)、「悪霊」(1872)などの文学史上の傑作小説を完成させた最も充実した時期でもありました。外国にいながらサンクトペテルブルクを舞台にした物語を書き続けたというのは、なんと皮肉なことでしょう。
ドストエフスキー文学記念博物館 1871年、ドストエフスキーはロシアに帰国しました。この時、すでに彼は世界的に有名な作家となっていました。この後の10年間は、波乱に富んだ文豪の生涯をしめくくるように、経済的にも安定し、家庭生活も幸福なものとなりました。最後の小説『カラマーゾフの兄弟』(1879〜80)を完成させた彼は、1881年2月9日、サンクトペテルブルクで60年の生涯を閉じました。
 今日、ドストエフスキーが1878年から晩年の2年半を暮らしたサンクトペテルブルク市内のアパートは、"ドストエフスキー文学記念博物館"となっています。市内北西部のドフストエフスキー通りとクズネーチヌイ横丁の角にある5階建ての建物で、1971年、ドストエフスキー生誕150周年を記念して博物館となったものでドストフスキーの墓す。生涯に20回以上も引越ししたというドストフスキーは、いつも角の部屋を好んだと言われていますが、この博物館も角にあたります。住まいは、6つの部屋、玄関、ホールなどからなり、書斎の時計はドストエフスキーの死亡時刻8時36分で止まっています。また、机には最後の手紙や薬の処方箋などが置かれ、往時を偲ぶことができます。なお、ドストフスキーの墓は、市内の南東アレクサンドル・ネフスキー修道院のチフビチン墓地の中にあって、チャイコフスキー、コルサコフ、ムソルグスキーなどロシアを代表する芸術家たちとともに眠っています。
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