ロシア映画社>特別企画>サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>文学に描かれたサンクト・ペテルブルグ

1910年9月、結婚48周年の記念日のトルストイ夫妻 『アンナ・カレーニナ』以来、トルストイは小説を書きませんでしたが、1886年、9年ぶりに『イワン・イリーチの死』を発表しました。想像力に溢れた小説の創作に立ち戻ったトルストイは、ロシアの農民をテーマにした多くの簡潔な教訓的物語を書きました。また、知識人に向けて書かれたその他の作品でも道徳的な主題ながら、優れた創造力を発揮しました。
 トルストイは、1885年に著作権を放棄することを試み、それ以来、印税を受け取らぬという決意を持っていました。帝政と正教会に敵対して、19世紀前半から弾圧を受けてきたキリスト経の一派、ドゥホボル派信者のカナダ移住のための基金を得る目的で、この決意を破って世に出たのが晩年の傑作『復活』(1899)でした。かつてある娘を弄んだことから良心の呵責にさいなまれるひとりの貴族の精神的再生を描くこの長編小説は、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』と並んで、トルストイの3大名作と呼ばれています。
 1904年、日露戦争が勃発すると、戦争行為を痛烈に批判して、両国民の反省を促す一文を発表しました。真実の探求者、伝道者あるいは預言者として、トルストイは世界中から注目される人物となっていました。しかし、自分の信条と莫大な財産との間の矛盾や、財産を放棄しようとする彼に反対する妻との絶え間ない口論で、トルストイの苦しみは増していきました。
死の床のトルストイ(1910年11月20日) そして遂に、トルストイ82歳のある晩、家出をしてしまいます。しかし、この行の途中、彼は急性肺炎を起こし、1910年11月20日、中央ロシアの寒村の駅アスターポボの駅長官舎で亡くなりました。遺体は生前の彼の言葉に従い、ヤースナヤ・ポリャーナの林の中に埋められました。遺言により墓碑も十字架もない簡単な墓でした。
ヤースヤナ・ポリャーナのトルストイの墓 ヤースヤナ・ポリャーナのトルストイの墓
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