ロシア映画社>特別企画>サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>文学に描かれたサンクト・ペテルブルグ

戯曲「検察官」(1836年)の登場人物(バクレフスキー画) 1836年に発表した戯曲「検察官」は、プーシキンに題材を与えられたもので、大反響を呼びました。その反響の凄さは、官僚政治への社会風刺という側面が強調され、ゴーゴリが意図したものではなかったため、彼を困惑させます。自由主義、保守の両派の大論争のさなか、ゴーゴリは、長編「死せる魂」を執筆するため国外へ逃げ出してしまいます。以後、ゴーゴリは、短期間ロシアに戻ることはあったものの外国に滞在し続けました。
 1841年に発表された「死せる魂」も大反響を呼びました。ゴーゴリは、この作品をダンテの「神曲」になぞらえて3部作とするつもりでした。悪の限りを尽くす人物列像を描く第1部は、地獄篇。煉獄篇となる第2部では、主人公の悔悟と更正を描き、そして天国篇としての第3部で完結するという構成を考えていたのです。しかし、1842年に始まった第2部の執筆は、健康上の理由もあって遅々として進みませんでした。外国にいてロシア人の生活を描くという矛盾も評論家に指摘されるようになりました。やがて、ゴーゴリはエルサレムに巡礼するなど宗教に救いを求め、昂じゴーゴリの道徳的苦悩て神秘主義的偏向すら見せるようになりました。
 1852年、「死せる魂」第2部は、ほとんど完成状態になっていましたが、ゴーゴリは信服する霊的指導者に作家活動の放棄を迫られ、原稿を暖炉に投じてしまいました。その後、ゴーゴリは断食をし、医師の治療を拒んで、悲惨な死をとげました。

 *ロシア映画DVDコレクション「妖婆・死棺の呪い」には特典映像として、ゴーゴリに関する記録映画「ゴーゴリゆかりの地を巡って」(1939年製作)が収録されています。
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