ロシア映画社>特別企画>サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>文学に描かれたサンクト・ペテルブルグ

 1853年8月(嘉永6年)、プチャーチン一行は、フリゲート艦パルラダ号で長崎に来航しました。国境・修交通商問題の交渉にあたりましたが、クリミア戦争勃発という事態に会い、ゴンチャローフはひとリシベリア経由で帰国します。当局はゴンチャロフの文章力を評価し、旅行記をまとめることも仕事の一部でした。この旅行体験は『フリゲート艦パルラダ号』(1858年 これの部分訳である『日本渡航記』は日露交渉史の貴重な史料)にまとめられました。
 その後ゴンチャローフは、1856年文部省の検閲官、62年に内務省の機関紙「北方の郵便」の編集長、65年には出版事務総局局員となり、67年に4等官の位で退官しました。この間の1859年、小説『オブローモフ』を発表。この作品は、農奴制批判の意義を評価され、また、無為懶惰(らんだ)な徒食者の代名詞として"オブローモフ気質"という言葉がロシア語の中に定着するなど、文学史上にその名をとどめる代表作となりました。
 しかし、第3の長編『断崖』(1869)は、ニヒリストを戯画化し、また、もともと遅筆であるゴンチャロフの執筆は、20年という長い期間によって構成が不統一となってしまったため、不評を買ってしまいました。この不評がショックとなって、もともと非社交的だったゴンチャロフは、退官後、ますます孤独になって行き、評論や回想記をいくつか発表しましたが、1891年、肺炎のためサンクトペテルプルグで永眠しました。
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