ロシア映画社 > 特別企画 > サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行

インノケンティ・スモクトノフスキー(チャイコフスキー)
 Innokenti Smoktunovsky
 (1925/3/28〜1994/8/25)
 ソビエトの生みの親、レーニンが死んだ翌年にあたる1925年、シベリアのトムスクに生まれた。クラスノヤルスク大学の医学部に入学し、産婦人科を専攻したが、在学中に芝居の面白さにとりつかれ、クラスノヤルスク・ドラマ芸術研究所に入った。やがて、さまざまな劇団を経てモスクワに進出し、マールイ劇場で「白痴」の主人公、ムイシュキンを演じて注目され、これが縁で映画界入りすることになった。
 映画デビュー作『あらし』(1957年、日本未公開)は、スモクトノフスキーが32歳のときの作品。1958年には出世作となった『兵士たち』、『最初の日々』『夜の訪問客』、1959年には『不減の道』(以上全部日本未公開)に出演。1960年には、日本でも公開された「送られなかった手紙」に主演している。1961年『うるう年』、1962年「1年の9日」、『モーツアルトとサリエリ』、1964年「ハムレット」、1966年『自動車にご用心』『同じ星で』、1968年「罪と罰」、1970年「チャイコフスキー」と、スモクトノフスキーは、ソビエトで最もポピュラーなスターとなり、また、世界的にもソビエトを代表する映画俳優としての地位を確立した。
 1964年にハムレット役でレーニン賞を受賞し、1974年にはソ連邦人民芸術家の称号を与えられている。

アントニーナ・シュラーノワ(フォン・メック夫人)
 Antonina Shuranova
 (1936/4/30〜2003/2/5)
 ウクライナの生まれで、レニングラード青年観客劇場の名女優として知られていた。映画には、セルゲイ・ボンダルチュク監督「戦争と平和」(1965〜67年)の老ボルコンスキー公爵の娘マリア役(アンドレイの妹)で初めて出演した。この時、舞台と映画の演技の違いがとても難しく、二度と映画には出ないと宣言していた。しかし、「チャイコフスキー」のシナリオを読んであまりの素晴らしさに、この宣言を取り消し2本目の映画出演を決めたという。
 タランキン監督も、彼女の内面から溢れ出るような演技に、スモクトノフスキーの相手役には彼女しかいないと確信していた、と語っている。
 映画にはこの他に、「真夜中の救急車」(1974年)、「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(1976年)、「クロイツェル・ソナタ」(1987年)などに出演している。

マイヤ・プリセツカヤ(デジレ)
 Maya Plisetskaya
 ソビエト・バレエ界のみならず、20世紀の世界バレエ界の至宝とさえ呼ばれたプリマ・バレリーナである。ボリショイ・バレエ団と同行したり、または単独に来日してその妙技を日本の観客にも披露しており、日本のバレエ界の進歩にも大きな役割を果たした。
 ソビエト女性のあこがれを一身に集めたポピュラーな人物でもあり、それまでにも「白鳥の湖」(1960年)など数本の短篇映画で踊っていたが、1968年の超大作劇映画「アンナ・カレーニナ」では夫のロジオン・シチェドリンが作曲を担当した縁で,ベツィ役で特別出演した。このときは“舞台が夏休みだったので,ほんのおつき合いよ”と語っていたが、「チャイコフスキー」では再び“女優”としてひっぱり出され、チャイコフスキーの恋人デジレを演じることとなった。この映画では、自からの当り役「白鳥の湖」でのオデットとオディール役を一度に見せてくれる。
 1974年には、ピエール・カルダンと共に自らも衣装デザインを担当したバレー映画「アンナ・カレーニナ」に主演した。
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