ロシア映画社 > 特別企画 > サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行

映画の中で使われた名曲の数々
 完璧なチャイコフスキーの伝記映画をめざしたディミトリ・ティオムキンは、史実に出来る限り忠実なドラマ化をめざし、チャイコフスキーが実際に訪れたヨーロッパ各地で撮影が行われた。例えば、1898年、チャイコフスキーがケンブリッジ大学で名誉号を贈られるシーンはケンブリッジで、親友ルービンシュタインの葬儀に立ち合うシーンと、イワン・ツルゲーネフとめぐり逢うシーンは,それぞれパリで撮影されている。
 また、音楽監督としてのティオムキンは、従来の多くの楽聖を描く映画で見られたような、サワリの部分に有名な曲をたっぷりきかせるというような扱いはしていない。この映画の中に使われたチャイコフスキーの曲を全部通しで演奏すると320時間かかるが、これを1時間半だけ取り出して、モザイクのようでありながら極めて的確かつ効果的に使っている。映画に使われた主な演奏曲目は、おおよそ14曲からなるが、印象的なものをあげてみよう。

交響曲第4番へ短調 作品36
 メイン・タイトルの冒頭で高々と鳴るファンファーレ風の旋律が、「交響曲第4番」の出だしの《モットー・テーマ》である。この曲は、映画の前半のテーマでもあるように様々なシーンで演奏されている。
 この交響曲は、1878年1月、チャイコフスキーが38歳の時に完成させたものだが、これは、彼が不幸な結婚に悩んでいた時期にあたる。チャイコフスキーは、フォン・メック夫人に宛てた手紙に「この曲の序奏部のテーマは、幸福を求めるものの目的を妨げ、平和と安楽を打ち拉ぐ“運命”の力を象徴したもの」と説明している。ここから、この曲をチャイコフスキーの《運命》という人もある。冒頭の印象的なテーマが、各楽章全部に現われる有機的な使われ方をしていることで有名で、彼の交響曲の中では最も変化に富んだ熱情的な曲で、また内省的なチャイコフスキーの性格が特に強く出ている作品と言われている。

ピアノ協奏曲第1番変口短調 作品36
 ニコライ・ルービンシュテインとの意見の対立のシーンに現われるのが、この曲である。また、映画の第2のテーマ音楽的な扱われ方もしている。ロシア風の旋律を持った曲である。
 1875年、チャイコフスキー34歳の時の作品。映画でも描かれているように、本来、ニコライ・ルービンシュテインに捧げるはずのものであった。ルービンシュテインは18世紀の最大のピアニストの一人と呼ばれたアントンの弟で、チャイコフスキーより5歳年上だが、ペテルブルグで兄の創立したロシア音楽協会に参加し、のちのモスクワ支部を創設し、1866年にモスクワ音楽院を創立した時、26歳のチャイコフスキーを和声楽の教授に抜擢した。また、当時、収入の少なかったチャイコフスキーは、ルービンシュテイン家に寄宿していた。
 1974年のクリスマス・イヴの日、チャイコフスキーはこの曲を献呈しようと思っていたニコライを音楽院に呼んで、曲を聞かせたところ、散々の酷評を受けてしまった。翌年、完成したこの曲を捧げた相手は、リスト門下のドイツ人ピアニスト、ハンス・フォン・ビューローだった。
 その後、チャイコフスキーはルービンシュテインの指摘を受け入れ、この協奏曲にかなりの修正を加えた。また、ルービンシュテインとも仲直りをして、彼の18番の演奏曲目にあげられるようになった。現在、演奏されているのは、その改訂版である。今日、チャイコフスキーの作曲した3曲のピアノ協奏曲の中では、この曲が最もよく演奏されている。
歌曲「騒がしい舞踏会で」 作品38−3
 映画の前半、舞台の場面で歌われる。ワルツ風の3拍子の曲で、ロシア的情緒に溢れるメロディーが美しい。
 この曲はアレクセイ・トルストイの詩につけた歌で「六つの歌曲集」(1878年、作品38)に収められた曲である。1939年にドイツで製作されたチャイコフスキーの伝記映画「さんざめく舞踏会の夜」(カール・フレーリッヒ監督、日本公開1954年)のタイトル・ロールに使われて映画ファンにも知られるようになった。

バレエ「白鳥の湖」 作品20
 1875年に作曲されたチャイコフスキーの最初のバレエ音楽。魔法使いロットバルトによって白鳥に姿を変えられた美しいオデッタ姫と、彼女を救おうとする王子ジークフリートの愛の物語。
 1877年、モスクワ・ボリショイ劇場で初演、1880年・82年にも再演されたが、いずれも評判は芳しくなかった。チャイコフスキーの死後の1895年、弟モデスト・チャイコフスキーが台本の一部を作り直し、M・プチパとその弟子のL・I・イワノーフの振付によるペテルブルグのマリインスキー劇場での公演は、大成功を収めた。以後、世界各地で愛好され、今日でも“バレエ”の代名詞とさえ呼べるほどの人気を誇っている。
 映画の中のバレエ場面でプリセツカヤが踊っている曲は「白鳥の湖」の《情景》第二幕の部分である。

バレエ「くるみ割り人形」 作品71
 チャイコフスキーが河で泳いでいるときのバックにつかわれているのが「くるみ割人形」の中の《花のワルツ》である。
 「くるみ割り人形」は、「白鳥の湖」と並んで、時代や国を問わず極めて人気が高く、チャイコフスキーのバレエ音楽の代表作である。ホフマンの「くるみ割り人形とネズミの王」を原作とし、プチパがバレエ台本化。プチパとイワノーフ振付で1892年12月ペテルブルグのマリインスキー劇場で初演された。
 少女クララがクリスマスに貰ったくるみ割人形とおもちゃたちは、真夜中にネズミの大軍に襲われて大敗しそうになるが、クララの機転で救われる。美しい王子に変身し、クララを雪の国や海底を通ってお菓子の国へと案内する…クリスマスのお話であることもあって、現在でもクリスマス・シーズンには世界各地で上演・演奏されている。

オペラ「エフゲニ・オネーギン」 作品24
 「スペードの女王」とともにチャイコフスキーのオペラで特に有名な作品である。プーシキンの原作をもとに、1878年、チャイコフスキーが38歳の時、「第4交響曲」と前後して完成した写実主義的な作品である。19世紀初頭、放蕩な生活をおくるペテルブルグの青年貴族オネーギンのタチアナへの愛の移り変わりが、巧みな性格描写によって描かれており、ロシアでは、今日もなお最も愛されているオペラで、上演も非常に多い。
 映画では、有名なタチアナの手紙のアリアの場面が登場している。

オペラ「スペードの女王」作品68
 1890年、チャイコフスキー50歳の時の作曲で、「エフゲニ・オネーギン」と並んで充実した作品である。18世紀末、ペテルブルグの貴族社会を舞台に野心を抱く青年近衛士官ゲルマンが賭博でに熱中して破滅していく姿が描かれている。
 映画では、舞踏会の場面など、このオペラのかなりの部分が紹介されており、往時のボリショイ・オペラの名人芸を堪能することができる。また、オペラの舞台を映画的な趣向をこらして演出しいて楽しめるものとなっている。主人公ゲルマンが、老伯爵夫人からカードの秘密を教えられるワン・シーンは、スモクトノフスキーによって演じられているのも面白い。

幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 1869年に作曲された、イギリスの劇作家ウィリアム・シェークスピアの戯曲にもとづく標題音楽(1870年と80年に改訂)。チャイコフスキーは、シェークスピア劇にもとづく3つの作品を作曲しているが、これは、その最初の作品で、豊かなメロディによって、文学作品の雰囲気を巧みに描きだしている。
 両親同士が宿敵の関係にあるため、非劇的な結末を向かえるロメオとジュリエットの恋の物語をソナタ形式で構成した美しい曲である。

交響曲第6番口短調“悲槍” 作品74
 映画の第3のテーマ的な音楽として、4つの楽章の断片が巧みに組み合わされ、映画の後半に演奏されている。
 この交響曲は、1893年10月28日にチャイコフスキー自身の指揮でペテルブルグで初演された。その8日後、チャイコフスキーは急死した。演奏会の直後、レストランで食事をとり、回りが止めたにもかかわらず生水を飲んだため、当時ロシアで流行していたコレラに感染したことが死因とされている。11月6日、53歳の生涯だった。
 この交響曲に“悲槍”という標題をつけたのは、チャイコフスキーの弟、モデストだった。チャイコフスキー自身は、この曲がある標題に基づいているとは述べたが、それは秘匿されたままこの世を去ってしまった。死の1ヵ月後、追悼演奏会が行われ、“悲愴”が演奏されたとき、満堂は彼の死を悼む慟哭の声で満ちたといわれている。
 この交響曲は内省的・ペシミスティックな性格において、これ以上チャイコフスキーらしい作品はないというほどの音楽である。また、終楽章を暗く絶望的なアダージョで終っている点が型破りでもあり、絶望や悲嘆が強く感じ取られる作品でもある。そのような交響曲を完成させた直後にチャイコフスキーが急死してしまったため、この曲を“自殺交響曲”と呼んだ人もあるという。
 映画のラストでは、回想場面とともにその終楽章がほぼ完全に演奏され、この感動巨編を締め括っている。
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