サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>歴史と文化の都…>第1次大戦

グリゴリー・ラスプーチン おりしも、アレクセイ皇太子がまた転び、出血を起こして、激しい痛みを訴えました。宮廷の医師団はさじを投げてしまいましたが、召し出されたラスプーチンは、アレクセイの腫れをとり、痛みをやわらげました。それは、純粋に霊能力であったのか、新興宗教者がよく使う麻薬や催眠術の一種であったのかは解りません。この時から、ラスプーチンは、皇太子が負傷した時の激痛を確実に紛らわすことができる唯一の人物となったのでした。そして、皇后にとって、皇太子の不治の病からくる暗い不安取り払ってくれる、なくてはならぬ人となりました。
 しかし、ラスプーチンの信仰は「キリストの愛」として婚姻外の性愛を肯定するものでした。彼はサンクト・ペテルブルクでも怪しげな崇拝者に取り囲まれ、性的な不品行の噂が立っていました。このような人物が宮廷に出入りすることは、政府にとって好ましいことではありませんでした。時の首相ストルイピンは、ラスプーチンを退けようと圧力を加えましたが、失敗しました。
 1911年には、聖職者たちがラスプーチンを糾弾したことから、彼宛ての皇后とその娘たちの手紙が公開され、翌年開かれた国会にもこの件が持ち出されました。そして、暗殺されたストルイピンの後継首相ココフツォフもラスプーチンを退けようとしました。しかし、この年の10月、皇太子は出血が止まらなくなるという生命の危機に襲われ、ラスプーチンがこれを救うという事態が起きました。このことで、皇帝と皇后は一切の批判に耳を貸さなくなってしまいました。皇后は、ラスプーチンを守るためには、自分が政治に介入することも辞さない、とまで決意したのでした。
 1914年、戦争の危機が迫った頃、ラスプーチンは、もし戦争に突入すれば、ロシアは国家として急激な変貌を遂げることになるだろうと予言しました。また、自分の命が失われれば、皇帝一家も同じ運命を辿るだろうとも言いました。
 第1次世界大戦に際してニコライ2世は、軍部と外相の進言の通り、総動員令を発して対独宣戦に踏み切りました。1915年春、ドイツ軍に敗北すると、皇帝は、最高司令官ニコライ大公を更迭し、自分がその代りになるとの考えを表らかにしました。この皇帝の意向に賛成したのは、ラスプーチンでした。このことで、ニコライ2世は大臣全体と衝突し、以降、皇帝は、完全に皇后とラスプーチンの影響下に入ってしまいました。やがて、「大臣の蛙飛び」と呼ばれる、政府高官の多くをラスプーチンの推薦する人物が占める異常な人事が行なわれるようになりました。
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ラスプーチンの取り巻きたち ラスプーチンとその取りまきたち
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