この作品は、トーキー初期のソビエト映画を代表する傑作です。映画のトーキー化は、世界各国で研究され、日本でも松竹が、土橋武夫・晴夫兄弟による土橋式トーキーで、邦画としては初の本格的トーキー「マダムと女房」を1931年に製作しています。ソビエトでは、1920年代の中ごろからモスクワ大学のタゲール教授によるものと、レニングラードのショーリン技師によるものとが、研究・開発されて競いあっていました。1928年には、両者が開発したシステムが、"タゲールフォン"、"ショーリノフォン"として認知され、以後、数年間はこの両方のシステムで、コンサート・フィルム、詩の朗読など実験的な試行錯誤が続きましたが、結局、レニングラードの"ショーリノフォン"が、ソビエト映画のトーキーとしての座を射止めました。 |
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