サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>歴史と文化の都、サンクト・ペテルブルグ

 1907年1月〜2月に国会選挙が行われ、第2国会が開会されました。この選挙には、社会民主党、エスエル党も加わたことで、前回よりいっそう反政府的勢力の多いものとなってしまいました。ストルィピン首相は、この情勢に国会をふたたび解散させ、政府が有利な新選挙法を公布しました。その後の第3国会では、ようやく、政府よりの勢力を確保することができましたが、国会での立法には長い時間を要することがありました。以後、ストルィピンは、国会を一時休会させている間に皇帝の勅令で法律を公布する、といった強引な手法で政治を動かそうとしました。
 ストルィピンは、1911年9月、キエフで暗殺されました。ふたたび、革命の気運が起こっていました。革命を求めていたのは、ロシアの工業化と活況を導いたブルジョワジーたちでした。貴族、官僚に代わって「ロシアの第3身分」が国を導いて行かねばならないと、自ら考えるようになっていたのです。
 経済のみならず、文化的にも貴族の時代は過ぎ去り、ブルジョワジーによって支えられる都市文化の時代が到来していました。それは「銀の時代」と呼ばれました。芸術においては、象徴主義から未来派へと、向かおうとしていました。マチスやピカソの絵画が、早くもロシアのブルジョワジーの邸宅に飾られていました。ロシアのブルジョワジーは、ヨーロッパの最先端とも結びついていたのです。困習から断絶しようとする芸術上の新鮮な実験は、彼らブルジョワジーの精神と合い通じるものがあったのかもしれません。
 一方では、労働者の政治ストが頻発し、その中で、サンクト・ペテルブルグの労働者の運動にレーニンたちのグループが次第に影響力を持つようになっていきました。
 1913年にはロマノフ王朝300年祭が祝われましたが、皇帝の権威は低下していました。怪僧ラスプーチンと皇室の関係も政治問題となっていました。こうして、1914年、ロシアは、改革か革命か大きく揺れる中で、第一次世界大戦を迎えようとしていました。
ロマノフ王朝300年記念式典 1913年
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