サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>歴史と文化の都、サンクト・ペテルブルグ

ロシア革命
 2月革命
映画「十月」(1927年 セルゲイ・エイゼンシュテイン監督)より、引き倒されるアレクサンドル3世像 1917年、ロシア暦2月23日(新暦3月8日)。国際婦人デーにあたるこの日、ペトログラードのウィボルグ地区の婦人労働者がストライキに入り、パンを要求するデモを行いました。やがて、男子労働者も合流し、2日後には、ペトログラード全市がゼネストの様相を呈するまでになりました。これを鎮圧するために出動したコサック兵が、警察署長を斬殺するという事件が起こる一方で、兵士たちはデモ隊に向けて発砲し、多くの死者を出しました。
 しかし、27日の朝、近衛ボルイニ連隊の兵は下士官に率いられて、反乱を起こしました。この動きは次々と波及し、ペトログラードでおよそ15万人の兵士が民衆の側につきました。彼らは、2つの監獄から政治犯を解放させました。解放された政治犯の一部は、国会の建物に集まり、「ペトログラード労働者・兵士代表ソビエト」を組織する基盤を作りました。これは、1905年の革命の時、「労働者ソビエト」が生まれたことにならったものでした。このペトログラードのソビエトの指導部の多数を占めていたのは、社会民主労働党の中の穏健派のメンシェビキと、農民を主体とした社会主義の実現を構想するエス・エルでした。
臨時政府に忠誠を誓う兵士たちの宣誓式(1917年3月) 一方、正式に国の政権を受け継いだのは、国会臨時委員会でした。同じく27日、国会内の進歩派勢力は、皇帝の休会命令を無視して、国会の本会議場の外で非公式会議を開き、国会臨時委員会を選出したのでした。この国会臨時委員会は、政府省庁を管轄下に置き、リボフを首班とする臨時政府を成立させ、ソビエトもこの政府を承認しました。
 ソビエトと国会臨時委員会が並立するというあり方は、問題もありました。労働者と兵士がソビエトに忠誠を示し、官吏と将校が国会臨時委員会に忠誠を誓うという、いわゆる"二重権力"状態を作ってしまったのです。
 3月3日、皇帝ニコライ2世は退位し、弟ミハイルも即位を辞退しました。ここに、1613年以来、300年続いたロマノフ王朝は幕を閉じました。
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