サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>歴史と文化の都、サンクト・ペテルブルグ

映画「人生案内」(1931年 ニコライ・エック監督)より 1920年代の行政改革で、ソビエト国内の経済や外交関係は改善されていきました。1922年末、ロシア共和国とウクライナ、ベロルシア、ザカフカスのソビエト共和国がソビエト連邦を結成し、1924年にはソビエト連邦の憲法が発効しました。そして、この年までには、おもな列強諸国がソビエト政府を承認し、ソ連との外交関係を樹立しました。日本も1925年に承認しました。
 一方、新経済政策によって経済は復興しましたが、これを漸進主義として不満に思う人たちもありました。また、中国で起きた蒋介石による反共クーデタは、民衆に必要以上の不安感をたかめるものとなっていました。さらに、1927年の秋には、穀物調達の危機も起きました。農民たちが政府の穀物調達機関への販売を拒んだためでした。
 これに対し、スターリンは強行な非常措置をとりました。これはブハーリンとの間で党内対立を生みました。スターリンは1929年までにブハーリンも失脚させました。スターリンの政治支配が強められる中で、農業の集団化と急進的工業化政策がとられるようになりました。
 1928年10月に始まった第1次5ヵ年計画もその一環で、ソビエト国内の超高度の工業化を目ざすと同時に、経済の計画化を目ざすものでした。同時に既成の学術・文化権威を攻撃し、それらをボリシェビキ化しようとする文化革命も行われようとしました。これらは青年労働者の熱狂をかき立てつつ、"上からの革命"として強権的に推し進められました。こうして、西欧諸国が不況にあえぐ1930年代、ソビエトはめざましい工業国となり、一元化された計画経済の国家となりました。
 この中で、労働組合は自立性を失って、いわば国家機関のひとつのようなものになりました。農業の集団化は、都市から労働者党員を送り込み、抵抗する農民を追放して一挙に進められました。数年のうちに個人農は姿を消し、農業生産協同組合(コルホーズ)に組織されました。また、技術者や学者・文化人の国家(党)への無条件服従が求められ、さまざまな社会団体も廃止されるか、準国家機関的な存在として新たに設立されるかしました。こうして、人類史上かつてない、ソビエト社会主義という計画経済による社会が出現したのです。
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▲映画「人生案内」(1931年 ニコライ・エック監督)より
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