1812年、ナポレオンが大軍を率いてロシアに侵入しましたが、ロシア側の焦土戦術と冬将軍によって敗れ去りました。
時の皇帝、アレクサンドル1世は、ナポレオンを破ったという実績を背景に1815年のウィーン会議の主役となります。この戦争が始まったときに竣工された首都のカザン聖堂には敗北したフランス軍の軍旗が奉納され、クトゥーゾフ将軍の遺骸が埋葬されました。その後1832年には、冬宮広場に皇帝の勝利を称えてアレクサンドルの円柱が立てられました。
1825年、首都はドイツ語風にサンクト・ペテルブルグと改名しました。その年の11月、アレクサンドル1世が急死し、皇帝のいない時期が3週間にもおよびました。
同じ12月、農奴制廃止と憲法の制定をめざした自由主義的貴族士官のグループが、この混乱に乗じて"デカブリストの反乱"を起こしました。この反乱はすぐに鎮圧され、デカブリスト運動は徹底的に弾圧されましたが、この運動はその後のロシアの政治・文化に大きな影響を与えていくことになりました。
映画「美わしき幸せの星」(1975年レンフィルム製作)は、デカブリストとその妻たちを描く力作です。映画とともに、この時代をもう少し詳しく探ってみることにしましょう。 |