1855年3月、ニコライ1世は死去し、帝位は長男アレクサンドル2世に引き継がれました。1853年に始まったロシアとトルコの戦争、クリミア戦争は、ロシアに思わぬ敗北をもたらしました。ニコライ1世は、講和を急ぎ、1856年にパリで講和条約が結ばれました。この結果、ロシアは黒海に艦隊や基地を持つことを禁じられ、ベッサラビアなどを失うことになりました。
アレクサンドル2世は、この敗戦から立ち上がるため、大改革を推し進めていきました。それは、農奴解放、司法制度の確立、教育改革などロシアに近代化をもたらす巨大な改革となりました。ニコライ1世の時代にシベリアに流刑されたデカブリストたちは、刑を解かれ、この大改革に参加する人もありました。
この結果、1860年代の後半には、私企業が続々と設立されるようになり、鉄道、製鉄、石油などの分野から急速に大資本が形成されるようになりました。
また、文化の面でも、農奴解放直前の1850年代の後半から、改革の熱気の中で、新聞雑誌の創刊ブームが起こるなど、充実した時代を迎えました。ゴンチャロフの「オブローモフ」、ドストエフスキーの「罪と罰」、トルストイの「戦争と平和」 「アンナ・カレーニナ」など、ロシア文学を代表する名作がこの時代に書かれました。
大改革の時代は、音楽の世界にも大きな影響を与えることになりました。ボロジン、キュイ、ムソルグスキー、バラキレフ、リムスキー・コルサコフの"5人組"と呼ばれる作曲家たちは、急速に西欧化されて行くロシアの状況に疑問を持ち、西欧の技法を用いながら、ロシアの歴史や生活に根ざした音楽を作り出しました。彼らは、貴族や地主の出身でしたが、農奴制などロシアの後進性を音楽によって打破しようとした人たちでした。彼らに共感しつつも、一線を画したロシア的音楽を作り出したのがチャイコフスキーでした。彼は、ロシア民謡などの伝統とドイツ古典派に学んで民族的音楽を作りだしました。 |