ツルゲーネフの小説「父と子」(1862)で用いられた"ニヒリズム"という言葉は、1850〜60年代のロシアの急進的な青年知識人たちの思想をさすものになりました。1870年代のナロードニキ運動や、1881年にアレクサンドル2世を暗殺した「人民の意志」党も、このニヒリズムの流れとみることができます。このように、19世紀半ばから後半にかけて、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、トルストイの3人の文豪が、時代の先頭にそびえたっていました。
しかし、1881年にドストエフスキー、1883年にはツルゲーネフが死去しました。また、トルストイもこの頃には、創作活動をほとんどやめていました。文学の世界で、彼らと共に生まれた社会的リアリズムの流れは、19世紀末にかけても発達し続けましたが、これを乗り越えようとする人や作品が登場してきました。
チェーホフは、その代表的作家で、彼は前世代の作家たちのともすれば抽象的になってしまう思考、あるいは、哲学や宗教、教義への関心などに疑問を感じていました。彼の祖父は農奴でしたが、地主から自由の権利を買いとりました。父は雑貨商でしたが、破産。チェーホフは、自活して中学を卒業し、モスクワ大学医学部に入学しました。そして、医学を学ぶかたわら、ユーモラスな小品を雑誌、新聞に書きまくり家族を養った、という経歴を持っていました。これは、それまでのロシア文壇の主流が、貴族や地主の出身であったのと大きく異なっています。彼は、平凡な人々の日常の行為を通して、人間のおかしさ、愚かさ、無意味さを、練りに練った散文スタイルの中に描きだしました。それは、アレクサンドル3世の大改革以降の新興ブルジョアジーたちの精神を担っていたのかも知れません。 |