ロシア映画社 > サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行 > 映画の都 レンフィルム

 「リア王」はシェークスピア戯曲の中でも、その厳しいまでの悲劇性のため舞台の上演も少なく、映画界でもそのスケール、人間模様の困難さにおいて映像化しづらく、1985年に故黒澤明監督が「乱」のベースとしてとりあげた程度である。その唯一の完全映画化は、″シェークスピアの第二の故郷″といわれる程広くその作品が読まれているソ連で、同国映画界の総力を結集することによって、初めて成し遂げられた。
 この超大作の監督グリゴーリー・コージンツェフは、戦前、『マクシムの青春』『マクシムの帰還』『ウィボルグ地区』の"マクシム3部作"などで有名なレンフィルム最高の、またソ連映画界を代表する巨匠のひとり。同時に、シェークスピア研究家としても有名で、著書も多く、舞台でもしばしばシェークスピア物を手がけ、とくに「リア王」は1941年、レニングラードのゴーリキー・ドラマ劇場で上演して大成功おさめた。その時の経験をもとにした「リア王論」を含む著書『シェークスピア―わが同時代入』は国内で出版されると同時にアメリカ、イギリスでも翻訳され、世界的に高い評価を得た。
 そのコージンツェフの造詣と蓄積が最初に実を結んだのが、日本でも公開された「ハムレット」(1963年)で、国内はもとよりシェークスピアの故国イギリスでも絶賛され、1964年のベネチア映画祭で審査員特別賞を獲得した。そして、その後、慎重な準備と18ヵ月にわたる長期撮影で完成したのが、この「リア王」である。
 ソ連映画界の総力を結集したこの超大作の配役において、コージンツェフ監督は徹底した実力主義を採用。特に主役のリア王を演じる俳優の選定には、映画・演劇界のあらゆる役者を見てまわった結果、エストニア民族共和国の舞台俳優で、映画にはまだ脇役でしか顔を出していなかったユーリー・ヤルベットを大抜躍。 ″ヤルベットは、その役を済じたのではなく、その血も肉も、彼自身がリア王なのだ″と評されるほどの迫真の演技を見せて、監督の期待に応えた。
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