1944年1月、レニングラードの戦いは、ソビエトが勝利し、包囲は解かれました。街の復興が始まり、廃墟と化していたレンフィルムも再建に立ち上がりました。建物を作り直すと同時に、戦前の撮影所は30年代の機材を使っていましたので、これを新しくする必要もありました。戦時中、散り散りになっていた撮影所のスタッフたちも徐々に帰ってきました。しかし、戦争で死んだ人もかなりいました。この年の夏までには、映画の撮影も可能なまでになりましたが、有能で創造的な働き手を元のように回復することはできませんでした。
1940年代の後半には、レニングラードの映画作家たちの一部が、首都の生活に憧れてモスクワヘ移住していきました。レニングラードを離れた監督には、セルゲイ・ゲラーシモフやセルゲイ・ユトケーヴィチ、しばらくして、ワシーリエフ兄弟、最後にアレクサンドル・ザルヒたちがいます。
こうして、レンフィルムでは、本格的な映画を製作することが困難な時期もありました。レンフィルムが映画製作に自信が持てるようになったのは、やっと1950年代になってからでした。第2次大戦後の40年代後半のレンフィルムの映画製作を支えたのは、コージンツェフらレニングラードに留まった、レンフィルム生え抜きの作家たちでした。
この時代のレンフィルムの作品としては、「眠れる美女」(1946年、アレクサンドル・イワノフスキー監督)、「愛への誓い」(1947年、アレクサンドル・ザルヒ監督)、「先駆者の道」(1947年、グリゴーリー・コージンツェフ監督)、「シンデレラ姫」(1947年、ナジェージダ・コシュヴェーロワ/ミハイル・シャピロ共同監督)、「夜明け」(1950年、グリゴーリー・ロシャーリ監督)、「皇帝に捧げし命」(1952年 オペラ映画 A・イワノフスキー/G・ラッポポールト共同監督)、「バフチサライの泉」「白鳥の湖」(1953年 バレエ映画 N・ルフ監督)などがあります。 |