ロシア映画社>特別企画>建都300周年記念「サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行」

 ロシア人によって、最初に作られたロシア映画は、1908年の「ステンカラージン」(V・ロマシコフ監督)でした。この映画は、サンクト・ペテルブルグの小さな写真屋から身を越し、映画企業家となったアレクサンドル・ドランコフが製作したものでした。上映時間7分半ほどのこの作品は、ドランコフ自身がカメラを回し、ほとんどアマチュアに近い劇団を使って、サンクト・ペテルブルグの近郊で撮影されました。
 1907年に創立された「A・A・ハンジョンコフ」商会は、数年後、モスクワに映画撮影所をもつ巨大企業となっていました。ロシアは、国民映画の誕生から10年後の1918年までに、劇映画だけで2000本以上が作られたという映画大国となっていたのです。
 こうして、1917年の革命を迎えるまでに、ロシア全土に映画配給網が張り巡らされ、サンクト・ペテルブルグには140近くの映画館がありました。
 このような中で、当時、ペトログラードと呼ばれたサンクト・ペテルブルグには、映画の保存を目的とする財団がありました。革命後、衰退し始めたこの映画財団を国営化し新組織を作ることが、1918年に決まりました。そして、"北部コミューン連邦ペトログラード映画委員会(キノセヴ)"と名づけられたこの組織は、やがて、国中の時事を撮影して、映画を製作・配給することになりました。ソビエトで最初の映画撮影所の誕生でした。
 これが、後に"レンフィルム"となります。1918年11月には、キノセヴの最初の劇映画「圧縮」(A・バンテレーエフ、A・ドリーノフ、D・パシュコフスキー監督)が完成しました。
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服部美術館・特別展「レンフィルムの映画を描く」
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