日露戦争が終わると、またパテをはじめとするフランス映画がたくさん上映されています。戦争当時とは変わって、劇映画が多くなり、中には上映時間30分という当時としては破格の長編も公開されています。1908年(明治41年)には日本最初の映画撮影所も作られました。この時期のロシアものとしては以下が見出せます。
1907年(明治40年)
北海荒海の樺太ニシン漁
横田商会提供
1907/8/23 錦輝館封切(新輸入活動写真の一篇として)
1908年(明治41年)
露国義民伝
横田商会提供
1908/8/8錦輝館封切
この題名は"ステンカ・ラージン"を連想させられます。純粋のロシア人スタッフ製作による最初のロシア映画とされる「川下の自由民(ステンカ・ラージン)」は、1908年10月15日に本国で公開された、と「ソヴェート映画史―七つの時代」には紹介されています。もし、外国で先に公開されたのだとしても、日本での公開時期が早すぎるような気がします。残念ながら、この作品は「川下の自由民(ステンカ・ラージン)」ではないのでしょう。
1909年(明治42年)
モスコーの大洪水
実写
1909/1/15小金井亭封切
先見者ロシヤ旅行
横田商会提供
外国劇
1909/2/1富士館封切
|
|