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ロシア映画社・西日本のページ
れた日は菜園をし、の日は画に想いを巡らす。
ここは、西日本の片田舎からお届けするちょっと脱ジャンルなページです。

"ダーチャ"的生活?! 2003年6月

雨あがりの菜園 某自動車メーカーは一時の不況を脱し、好調に転じたとはいえ、我が西日本の片隅にまでは景気の波はやってきません。入梅した空と同じように鬱陶しい日々が続いています。当支局も御多分に漏れず、「勝ち組」にはなれそうもありません。インターネット接続のためのプロバイダーはおろか、NTTの回線使用料もままならず、このページのアップロードも某所の設備をこっそり利用している始末。そんな状態でもどうにか生活できるのは、土地の恵みのお陰です。現金収入はなくても、僅かばかりの家庭菜園で取れる作物で、どうにか日々食べていけるのです。こんな生活をロシアの「ダーチャ」のようだと思うようになりました。
 ロシア語の「ダーチャ」は、これまで別荘と翻訳されてきたと思います。しかし、この「ダーチャ」は、日本人がイメージする「別荘」とは少々違うもののように思います。私たちが「別荘」という言葉に想い描くものは、例えば、軽井沢とか、何とか高原にある瀟洒な建物ではないでしょうか。有産階級の人々が、避暑のために本宅とは別のところで過ごすもの。筆者もそんなイメージで、かつて、タルコフスキーの書いた文章の中に「別荘は自分にも息子にもなくてはならないもの」という一節を見つけた時は、ソビエトの芸術家エリートの贅沢な戯言と思っておりました。
 時代が下って、ソビエトは崩壊し、ロシアは自由経済の世となりましたが、ニュースで目にしたのは、給料や年金の未払いという現実。ロシアの人々はどうやって生活するのだろう、食べていけるのだろうか、と心配になったものです。でも、どっこい生きていました。ちゃんと食べていました。現金収入はなくても、ジャガイモやタマネギその他いろいろの野菜を自前で作って、食卓に乗せていたのです。その自前の野菜を作ったのが「ダーチャ」だったのです。「ダーチャ」には必ず菜園があって、ロシア人は週末ごとに通っては、せっせと野菜を作り貯蔵していたのです。「ダーチャ」は、寝泊りすることのできる郊外にある畑といった方が正解なのかもしれません。
アンドレイ・タルコフスキー 思えば、タルコフスキーにとって、「ダーチャ」は、単なる憩いや文化官僚からの逃避の場としてではなく、「食べる」という生活の基本を支えるものだったのではないでしょうか。病弱な息子のため、あるいは自らの信条のためにも手作りした野菜がなくてはならいものだったのでしょう。暇を見つけては菜園に通うタルコフスキーの姿を想像すると微笑ましいものがあります。同時に、その大事な「ダーチャ」を捨ててまでも「亡命生活」をおくらねばならなかった彼は、生涯の終わりをどんな辛い気持ちで過ごしたのでしょう。

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