コンクール作品は、ドイツの「HELP I'M A BOY」(2002年 Oliver Dommenget監督)と、イタリアの「NOT FAIR」(2001年 Antonietta De Lillo監督)。
ところで、この映画祭の特徴のひとつは、小学生の"こども審査委員"たちがいて、大人の委員とは別にコンクール作品を審査することである。その審査ぶりは大人も顔負けするほど。
この"こども審査委員"制のご本家は、「ベルリン国際映画祭」のプログラムの一環として毎年開催されている「キンダー・フィルムフェスト・ベルリン」だろうと思う。今回、コンクール作品として参加している「NAGISA」は、2001年の第51回ベルリン国際映画祭のキンダーフィルム・フェストで、日本映画としては、初のグランプリを受賞している。
キンダー・フィルムフェストは、日本でもご本家のベルリンと言わば提携するような形で、毎夏、東京では、青山・こどもの城で上映会が行われているので、ご存知の方もあろうかと思う。討論など下手だろうと思う日本のこどもたちも、ここでは大人が驚くほどの白熱した議論を交わすそうだ。
オペラナイトの日比野幸子さんと青年実業家の田平さんという方が、ベルリンのキンダー・フィルムフェストに惚れ込んで、もう10年近く頑張っておいでなのだが、いずこも同じで台所事情は厳しいという。かけ声だけで申し訳ないが、日本のこども文化のため、映画の未来のためにも頑張っていただきたい。そして、New弁士・藤川修士氏の名調子を聞かせて貰いたいものだ。
この日は、「我らの子ども」と題して、"セルゲイ・ボドロフJrに捧げる"小特集が"クロサワ"ホールで上映された。
セルゲイ・ボドロフJrは、ロシアの映画監督セルゲイ・ボドロフの息子で、父の「コーカサスの虜」(1996年)で俳優として正式にデビュー、その後、アレクセイ・バラバノフ監督の「ロシアン・ブラザー」(1997年)で一躍人気俳優となった。その甘いマスクは、日本でも多くのファンを魅了している。2001年には、自らの脚本で「姉妹」という映画も監督して、父譲りの才気も見せた。
ところが、2002年9月20日、新作ロケのため訪れていたロシア南部の北オセチア共和国のカルマドン峡谷で氷河崩落に遭遇して、他の撮影スタッフともども行方不明となってしまった。この上映会の当日時点では、生死のほどは定かではない。例えは悪いが、"アンデスの聖餐"ということもあった。奇跡を信じて祈りたい。
夜は、当地の映像関係者ロマン夫妻、旧知のコロソフ夫妻らと船のレストランで会食。こちらも状況は厳しいようだ。子どもたちのためにも、未来は明るいものであって欲しい。子どもたちを信じよう、未来を信じよう。明日を信じて、モスクワ川に乾杯… |