「祖国大戦争」日本公開時(1966年)のプレスシート(NCC製作)より転載

ソビエ卜の戦争記録映画
 ドイツ軍が国境を越えて侵入し戦火が燃え上ったその数日後にはソ遇邦の各共和圏から数百人のカメラマンが戦線に向かっていた。激戦のさなか、あらゆる困難と危険をおかしながら彼らは戦線で活躍し、あるときはキャメラの代りに銃をとり、あるときはパルチザン部隊に従って敵の占領地帯で撮影を続けた。彼らはオデッサやセバストポリの防衛部隊とともに戦い、レニングラードの戦斗、スターリングラードの戦斗、モスクワの戦斗を克明に撮影し、モスクワ戦線での記録は早くも一九四二年二月に「モスクワ附近におけるドイツ軍の壊減」という作品になって公開された。この記録映画は有名な監督イリヤ・コパーリンとワルラーモフの編集したものだがこれが戦争中最初の長編記録映画であった。これらの記録の撮影には女性も参加していた。マーシャ・スフホワ、オッティリヤ・レイズマンは白ロシヤの敵の背後でパルチザン部隊に従軍していたがマーシャはここで戦死、その他にも多くのキャメラマンが戦死している。「戦うレニングラード」も同年の作品だが、包囲と飢えにも屈せず戦いぬいたレニングラード市民やソヴェト軍の将兵たちの姿を記録したものだった。これについで「スターリングラード」「ソヴェト・ウクライナのための戦い」「オリョールの戦斗」「人民の復讐者」「ウラルは勝利のために働く」「解放されたチェコスロバキア」など長編記録映画二十四本が戦争中にソヴェトで対切られたし劇映画畑からもアレクサンドル・ドブジェンコやセルゲイ・ゲラシモフ、 ユリー・ライズマン、アレクサンドル・ザルヒ、ヨシフ・へイフィッツなどの第一線監督が戦争記録映画の製作に携わり、「ソビェト・ウクライナの戦斗」(ドブジェンコ監督)、「べルリン」(ライズマン監督)があるが、終戦となってからロマン・カルメンがニュールンベルグの戦争裁判を記録した「人民の裁判」を製作している。
 「祖国大戦争」はこれらの記録映画の材料となったフィルムを主とし、これに各国のフィルム・ライブラリーから集めた記録映画を加えてロマン・カルメン監督が構成したもので、ナチス・ドイツ軍のカメラマンの撮影したフィルムも生かされているが、おそらくこれがソヴェトの戦争記録映画の決定版といってもいいであろう。この映画をつくるための基本的なテキストとなったのはソ連邦国防省編集出版による「大祖国戦争」らしいが、もとのロシヤ語版のフィルムではテキスト通りのナレーションが随所に用いられている。
 なお戦後ソヴェト映画界では記録の再現ともいうべき大作を芸術記録映画の名称の下で三本製作しているが、チアウレリ監督の「ベルリン陥落」(これはわが国では一九五二年に公開された)、ペトロフ監督の「スターリングラードの戦斗」、サフチェンコ監督の「第三の打撃」はそれぞれセミ・ドキュメンタリー映画として特色のあるものだった。

「祖国大戦争」日本公開時(1966年)のプレスシート(NCC製作)より転載
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